備忘録

勉強や読書の記録

ガー・レイノルズ『プレゼンテーションzen デザイン あなたのプレゼンを強化するデザインの原則とテクニック』,丸善出版,2014

 プレゼンテーションzenの続編を読んだ.前作はデザインも含むプレゼンテーションの準備・実践など全般について記述されていたが,本書はデザインに焦点を当てている.エクセレント・カンパニーの共著者であるトム・ピーターズは「我々はみなデザイナーであり,もっとデザインを意識する必要がある」と述べている.

プレゼンテーションZENデザイン

プレゼンテーションZENデザイン

 

 中では様々なツールが紹介されているのだが,カラースキームについては以下の3つが紹介されている.自分のスライドの配色はAdobe Color CCを用いてベースカラーの類似色5つと補色1つ決めたのだが,色々なサービスがあるのだなあ.Adobe Color CCでは写真から色を抽出したりもできるらしい.本書では「自然は完璧な色彩画家である」と言われているし,風景写真などから色を抽出してカラーパレットを決めるのも有効だろう.

 他に挙げられているフリーかつ有益なソフトの一つとして Gapminder World が挙げられている.統計データを物凄くキレイにプロットしてくれる(研究発表で使う機会があるかどうかはわからない).

 デザインに関する内容以外も含まれているが,その辺はプレゼンテーションzenで触れられている内容なので,特に新しさはなかった.著者のガーは読書家でもあるらしく,彼のホームページには推薦書籍へのリンクが貼られている.時間を見つけて読もう…

 最後に,非常に印象に残っている第10章のフレーズを引用しておく.

デザイン向上を目指す旅の第一歩は,出発点を固めることだ.競争相手は自分のみである.我々の大部分は,今日必要とされるデザインやビジュアル・コミュニケーション戦略について学んだ経験が無い.しかし,学ぶのに遅すぎるということはない.いくつになっても新しいことを学び,進歩することは可能である. 

あなたは出発点を見極め,後にどれだけ進歩したかを確認できるようにしなければならない.そのためにはひとまず足を止め,コンピューターなどの文明の利器から離れて,自分の現状や改善すべき点を見つめ直す必要がある.日本には「反省」と呼ばれる習慣がある.それは内省のための一種の休止時間である.人々は現在取り組んでいるプロジェクトについて(たとえ順調に進んでいる場合であっても)さまざまに思いを巡らし,それを改善する方法を模索する.自らを省みる姿勢が無ければ,教訓は得られない.「反省なくして向上なし」である

教師の存在は不可欠であり,重要なものだ.彼らは我々に方向性を示してくれる.しかし,最終的に何かを学べるかどうかは,常に我々自身にかかっている.我々が現在身に付けている知識の大半は,自分自身の努力と,教室外におけるたゆまぬ向上心によって得られたものである. 

カイゼン(ここでは「継続的な向上」という意味合い)の興味深い点は,大進歩や急激な買いかっくは必要ではないということだ.むしろ,重要なのは向上の足掛かりとなるアイデアを(どんなに小さなものであれ)常に探し続けることである.ごく小さな改善であってもかまわない.なぜなら長期的に見れば,それらが積もり積もって大進歩に繋がるからだ.「千里の道も一歩から始まる」もまた,カイゼンに内在する教訓である.シンプルで簡単に実行できる改良は,その時点では大したことが無いように思われるかもしれない.しかし,その集積が大改良を生み出すのである.

「頂点を極めたと思った瞬間,人は衰退への道を歩み始める」という古い格言がある.完璧に見えるものにも,改善の余地はある.日々向上を目指し続けることがカイゼンの本質である.自分が長い旅路のどのあたりまで来ているのか,あとどれくらいの道のりがあるのかは重要ではない.大切なのは今この瞬間であり,身の回りの教訓に気付くこと,そして常に学び,向上していく意欲を持つことである.

 周囲の環境から学ぶためには,至るところに潜んでいる教訓を見抜かねばならない.しかし,それらに気付くには,意識を研ぎ澄ます必要がある.高い意識を持つことは,「個人的カイゼン」の第一歩である.しかし,我々の大半は無数のマルチタスク(あるいはイライラの種)で埋め尽くされた慌ただしい日々を送っており,常に高い意識を維持することができなくなってしまっている. 

 我々の日常生活はハイペースで進行している.しかし(我々に理解と成長をもたらしてくれるような)研ぎ澄まされた意識を持つには,スローダウンが必要だ.忙しい生活の合間を縫って,一人になる時間を見つけ出してほしい.リラックスできる時間を十分にとれば,身の回りの教訓が見えてくるはずだ.時が経つにつれて,あなたの意識はさらに研ぎ澄まされ,ますます多くの教訓が目に飛び込んでくるようになるだろう.

ガー・レイノルズ『プレゼンテーションzen プレゼンのデザインと伝え方に関するシンプルなアイデア 第2版』,丸善出版,2014

 論文投稿の関係で中々本を読む時間を確保できていなかったのだが,一段落したので,プレゼンテーションを控えてることもあり,プレゼンに関する本を読んでみた.本書に載ってるサンプルスライドは研究発表に活かしづらいものが多いが,一方で,本書で説いているプレゼンテーションの在り方には,論文執筆にも活かせるものが少なくない.

プレゼンテーションZEN 第2版

プレゼンテーションZEN 第2版

 

  例えば,第3章『アナログ式に計画を練ろう』では,コンテンツや表現方法を十分に煮詰めることなくパワーポイントに向かう人の多さを指摘している.この章では,まず紙やホワイトボードなど,アナログ式に内容を練り上げてから,スライドに落とし込むことを推奨している.その中に『2つの問い:「何が言いたいのか?」「なぜそれが重要なのか?」』という節がある.その内容は,扱っている内容の重要性が伝わらないと,聞き手に十分に伝わらないということである.現在執筆中の論文でも『なぜそれが重要なのか?』が不十分だと指導教員に指摘された身には耳が痛い(自分の中では重要な問題だが,その重要さを明確に記述していなかった).

 本書では,メッセージにおいて『なぜ重要なのか?』が欠如していることを,つまり,自分と同レベルの背景知識を持たない聞き手の気持ちに思い至らないことを,『知の呪縛』に縛られていると表現している.ではこの『知の呪縛』に立ち向かうためにはどうすべきか.本書ではSUCCESs(Simplicity: 単純明快,Unexpectedness: 意外性,Concreteness: 具体性,Credibility: 信頼性,Emotions: 感情に訴えること,Stories: 物語性)を提案している.これらのうち,Storiesに関する部分には非常に印象深い記述がある.

人間は自分の経験を物語の形で記憶するようにできている.つまり,物を覚えるにはストーリー時縦にするのが,一番効率がいいのだ.人間が耳や目を使って情報を共有してきた年月は,リストや箇条書きのそれよりも遥かに長い.

記憶力が非常に悪い(というより,やり方が悪いのだと思う)自分には参考になる.

 信頼性を高める上では,引用句の使用も有効だと言う.虎の威を借る狐というわけだ.これについては,元マッキンゼーで『エクセレント・カンパニー』の共著者でもあるトム・ピーターズが公開している "Presentation Excellence" の第18条にも書いてある.

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)

 

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=3&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjggo6Km4rSAhVCULwKHUzKAbkQFggtMAI&url=http%3A%2F%2Ftompeters.com%2Fslides%2Fuploaded%2FPresentationEx052605.ppt&usg=AFQjCNGARp8-7OX1Eeoq38q2AjWUfcfbhw&sig2=hTcE8LQ4v8iX635rAVJyMg

 第8章では,実際にプレゼンテーションする際には,もちろんプレゼンテーションに限った話ではないが,「完全にその場に集中すること」が重要であるという.ここでは「無心」,つまり,心はここにはないが,ある状態のこと,を「集中」としている.『競争の科学』の冒頭で,百戦錬磨のプロスポーツ選手でもかなりのストレスがかかっていると示すデータが挙げられていたが,恐らくこれが「無心」なのかもしれない.しかし,LINEやFacebook,メールなど,あらゆるところで通知が鳴る環境では,自分自身や何かに集中することはできない(この辺はニコラス・G・カーの『ネット・バカ』にも書かれている).そういう環境は避けることはできないので,せめて意識的にでも離れる必要があると思う.さっさと論文修正を終えて一刻も早くスマホの電源切ろうキャンペーンを再開したい.

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

 第9章「聴衆と心を通い合わせる」では,集中力を高める上で「驚き」の感情が有効だという.覚醒レベルを上げ,集中力を高めてくれるのだとか.第10章にも,衝撃的なエピソードや驚くべきデータ,感動的な写真などの提示により感情に訴えることでコンテンツが記憶に残りやすくなる,とある.感情を揺さぶられることで,大脳辺縁系扁桃体から信号が送られ,ドーパミンが放出されるらしいが,詳細はジョン・メディナ『ブレイン・ルール』を読まないとよくわからない.ちなみに,この『ブレイン・ルール』では「ミラー・ニューロン」にも言及している模様.ミラー・ニューロンとは「自分が何かをするときと,他人がそれを行うのを見るときの,どちらの場合にも活動電位を発生させる神経細胞」らしい.共感能力とも取れるが…今月15日に予定があるので,楽しみが増えた.

ブレイン・ルール [DVD付き]

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 本を読むようになってからよく思うのだが,世の中にたくさんいる「賢い人」は,頭がいい云々よりも,効率的な情報処理の仕方を習得しているだけなのかもしれない(それが凄いことなのだが).以前『究極の鍛錬』を読んでから,ますますそう思うようになった.第2章でも「あなたにも創造力はある」という節がある.創造力に関する記述を引用する.

クリエイティブであるということは,(中略)脳全体を使って解決策を見出すことである.創造力とは従来の知識や方法にとらわれず,(往々にして瞬時に)独創的な思考を取り入れ,不足の事態を切り抜ける能力を指している.こうした場面には論理や分析だけでなく,大局的にものを見ることが必要だ.このようなものの見方ができるのも,右脳的でクリエイティブな資質である.

大学院に進学するまでまともな思考訓練を積んでこなかったので,ロジカルであることにはだいぶ意識してきたのだが,その代わりに,少し局所的な視点でモノを見るようになってしまったのかもしれない.何事もやり過ぎは良くないので,もう少し自由にモノを見れるようになる必要があるのかもしれない.

 最後に,後半部分で言及される「利己的自己」について.パートナーシップ哲学の研究者であるロザモンド・ザンダーは,周りからの評価を気に掛け,愛情や気遣い,食べ物などの不足について思い悩んでいる状態を「利己的自己」と定義している.この利己的自己を満たすために我々は日々競争や比較に明け暮れているのだそう.ところが,競争に勝利したところでこの「利己的自己」は完全に満たされることはないという.これを満たすには,明るく,気楽にやることが有効らしい. 2年前に就活に失敗して競争や比較を意識してきた身としては,近いうちに役に立ちそうな記述である.

マーク・ピーターセン「実践 日本人の英語」,岩波新書,2013

 以前,氏の『日本人の英語』を読んだのだが,今回はその第3弾を読んだ(第2弾は図書館になかった). 

実践 日本人の英語 (岩波新書)

実践 日本人の英語 (岩波新書)

 

 今回は前半部分は適切な表現に置き換えられたのだが,後半部分ではボコボコにされ英語力の無さを思い知らされた.具体的には,第7章の『「オンリー」ひとすじ?』では日本人はよく「〜だけ」という意味を表現する際にonlyを用いるが,aloneなど,別の表現が相応しい場合が多々あるという学びを,第8章の『副詞の立ち位置』では,副詞は置かれる位置によって強調の対象が違うという学びがある.特に後者は,「副詞なんてどこに入れても成立する」と教わった記憶があるのだが・・・.

 他には,「原因や理由を表す接続詞」が持つ原因や理由へのコミットメントの強さ.because, since(書き言葉ではas, for)は原因や理由が結果に論理的に強く結びついていなければならない.しかしandはそうした単語よりも結びつきが弱い場面で使われる.また,soはbecause, sinceよりももっと強く結びついてる場合に使う.ちなみに,becauseは読み手が知らない新たな情報を用いる場合に,sinceは既知の情報を用いる場合に使うらしい.知らんがな…

 第10章も印象深い.「そこで,」という意味で Then, と表現してきた記憶が結構あるのだが,実際にはThenの後にコンマを打つ用法はないらしい.「そこで,」に最も近いThenの意味は「だったら/それなら」だが,その場合は論理的な結合が明確でなければならない.As a resultも同様で,参考書には「結果として」と書かれている印象だが,実際には「(当然の)結果として」という強い因果関係を表すらしく,必ずしもAs a resultを用いるのが良いとはいえない.As a resultはThereforeなど「したがって」で置き換えられる場面のみで使うらしい.

 その他にもThese daysは「最近」ではなく「いまどき」というニュアンスなど,前回同様学びの多い一冊だった.最後に,『おわりに』より以下の文を引用する.

「あとがき」の締めくくりにはふさわしくないかもしれないが,ひとつだけ最近の日本で,気になっていることに触れたい.英語か日本語かに関わらず,文章の意味をしっかりつかむ,よく考えて文章を作る,といった基本的なことがちゃんとできているかどうか,不安に感じることが増えてきたのである.それは学生に限らない.

自分も2年前に比べたら大分マシになったと思うが,それでもダメなところはたくさんあるんだろうなあ…

安宅和人『イシューからはじめよ-知的生産の「シンプルな本質」』,英治出版,2010

 今回は安宅氏の『イシューからはじめよ』を紹介する.この手の本は,大抵ツールの紹介に終始するものばかりという印象.半年ほど前に図書館の新着図書コーナーにあった本もそうだった.

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

しかし本書は「アウトプットを生み出す」という視点で記述されている.

 本書は大きなバリューを生み出すことに重きを置いている.序章では,大きなバリューを生み出す可能性が低い「犬の道」に触れている.氏は,一心不乱に目の前の問題に立ち向かう「犬の道」を邁進するのではなく,大きなイシューを選別し,可能な限りそのイシューに対する解の質を高めることが重要だという.

 では,その大きなイシューはどのように見極めれば良いのだろうか.氏は判断基準として以下を挙げている.

  • 実際にインパクトがあるか
  • 説得力ある形で検証できるか
  • 想定する受け手にそれを伝えられるか

さらに,イシューを見極める上で「スタンスをとる」ことが重要だという.多くの場合イシューは曖昧だが,スタンスをとることで,(1) 答えを出し得るレベルまでイシューを明確にできる,(2) 必要な情報・分析すべることがわかる,(3) 分析結果の解釈が明確になる,そうだ.

 さらに,頭の中で磨き上げられたイシューの言語化も勧めている.イシューを言語化する上でのコツは「Why?」よりも「Where?」「What?」「How?」のいずれかで表現することだ.

 氏はよいイシューは以下の3条件を満たすという.

  1. 本質的な選択肢である.
  2. 深い仮説がある.
  3. 答えを出し得る.

2. について,深い仮説を構築するためには,(1) 常識を否定する,(2) 構造で説明する,のが有効だという.そのための構造として,(1) 共通性,(2) 関係性,(3) グルーピング,(4) ルール,を挙げている.

 よいイシューを考えるためには,(1) 一次情報のサーベイ,(2) 一次情報に基づいた基本的な情報のスキャン,(3) 集め過ぎない・知り過ぎない,ことが重要だという.特にこの集め過ぎと知り過ぎは,大学院での就職活動でやってしまった.ある程度集めてからスキャンし,それに基づいてもう一度集めてスキャンする方が効率が良かった.

 どうしてもイシューが見つからない時は,(1) 変数を削る,(2) 視覚化する,(3) 最終形から辿る,(4) 「So What?」を繰り返す,(5) 極端な事例を考える,ことが有効らしい.

 そうして見つかった大きなイシューは,MECEを意識しながらサブイシューに分解する.その際にも「Where?」「What?」「How?」が役立つが,型が見つからない場合は逆算が有効だそうだ.サブイシューに分解する利点は,(1) 課題の全体像が見えやすくなる,(2) サブイシューのうち,取り組む優先順位の高いものが見えやすくなる,部分にある.

 イシューとそれに対する解を有効に伝えるためにもストーリーラインは重要である.ストーリーラインとして,(1) Why?の並び立て,(2) 空・雨・傘,を紹介してる.(1) はそのまんま,(2) は論文形式だと理解してる.

 基本的にストーリーはピラミッドストラクチャで構成される.大きなイシューが頂点にあり,その下にサブイシュー,そして,サブイシューを裏付ける根拠の提示.

 根拠として分析結果を示すことが多々ある.分析は比較することに意味がある.定性分析は「意味合い出しに向けた情報の整理」と「タイプ分け」が基本.定量分析の型は,(1) 比較,(2) 構成,(3) 変化,の3種類がある.

 分析経験が浅い身としては,以下の文が印象に残っている.

基本的に,分析は「原因側」と「結果側」の掛け算で表現される.比較する条件が原因側で,それを評価する値が結果側となる.軸を考えるというのは,原因側で何を比べるのか,結果側で何を比べるのか,ということを意味している. 

分析軸の選び方として以下の文も印象に残っている.

似ているものを束ねながら,軸を整理していく.場合によっては,2つの条件が重なり合ったものも出てくる.大きくはA/Bという2つの条件しかなくても,

  • Aでしかないケース
  • AでありBであるケース
  • Bでしかないケース
  • AでもBでもないケース
という4つの場合があり得る.

 そうして分析が設計されたら,実際の分析に進む.その際にトラブルも起るだろう.本書ではそうしたトラブルとして,(1) ほしい数字や証明が出ない,(2) 自分の知識や技では埒が明かない,を想定している.前者に対してはフェルミ推定,足で稼ぐ,複数のアプローチからの推定,を勧めている.

 最初に述べたように,多くのロジカルシンキング本などとは異なる内容である.氏がPh.Dを取得した脳神経系の知識と絡めたコラムも大変面白い.もしロジカルシンキング本を読もうと考えている人がいれば,本書をオススメする.

岩瀬大輔『入社1年目の教科書』,ダイヤモンド社,2011

 ようやく今年から働くことができるので,推薦された『入社1年目の教科書を読んでみた.当たり前のことばかり書いてあるのだが,過去の記事で何度か言っているように,当たり前のことが当たり前にできていないからわざわざ書いているのだろう.

入社1年目の教科書

入社1年目の教科書

 

 まずはじめに,仕事において大切な3つの原則を挙げている.

  1. 頼まれたことは,必ずやりきる
  2. 50点で構わないから早く出せ
  3. つまらない仕事はない

1. は信頼を得るために必須.2. は,入社1年目を想定しているだけあって,そもそも100%の仕事なんてできるはずがないのだからさっさとやって上司に見せて質を上げろという話.3. は,どんな仕事も意味を見い出せるものになりうるので,背景と目的を明確にし,真剣にやるべきという話.ちなみにつまらない仕事はないという見出しには同意できない.『究極の鍛錬』で述べられていたように「基本的に面白くはない」ものは存在する.が,それの価値のあるなしはまた別の話.

 印象に残っているエピソードをいくつか述べる.まずは「仕事の効率は『最後の5分』で決まる」.要するに,何かがあったら,そのポイントをまとめ,もう一度確認する.証拠を押さえるの,大事.人間は忘れっぽいので,記録しておかねば.

 2つ目は,「本を速読するな」.本は著者との対話であり,対話をいい加減に流されるのは不愉快だという話だ.これには物凄く納得してしまった…

 最後に,「何はともあれ貯蓄せよ」「小さな出費は年額に換算してみる」.散財癖のある私には耳が痛い…このエピソードよりも前に,自己投資しろとあるが,そうした投資をした上でお金を貯めろと言っている.なぜならば,ある程度お金が貯まれば,まとまったお金の運用の仕方を学べるからだ.お金周りの知識が全くないので,これはやらねば… 

 易しい言葉で書かれており,時間と労力の割に多くのことを学べる,非常に良い一冊だった.

ジョフ・コルヴァン『究極の鍛錬 - Talent is Overrated』,サンマーク出版,2010

 Kindleセールの対象だったので読んでみた.内容自体は良いのだが,文章が非常に読みづらい.本書は,一流になるためには才能ではなく努力が大切だと説く.もちろんただ努力すれば一流になれるのではない.本書で言うところの『究極の鍛錬』を行わなければならない.

究極の鍛錬

究極の鍛錬

 

 本書によると,究極の鍛錬は以下の5要素を含む.

  1. 指導者が設計した体系だった鍛錬メニュー
  2. 自分の弱点を繰り返し練習すること
  3. その直後に受けるフィードバック
  4. 能力向上のために徐々に高くなる課題設定
  5. 決して面白くはない訓練内容

簡単にまとめると,究極の鍛錬は,一流になるための能力向上を主眼においたメニューを通して行う.まずはじめに自分の力量を明らかにし,不得意な内容を集中的に何度も何度も繰り返す.そして各試行でフィードバックを得る.そうしていると徐々に不得意が解消され,新たな不得意もしくは相対的に弱い点が見つかる.そこで集中の対象をそれに変更し,また何度も何度も繰り返し,フィードバックを受けて修正する.当たり前だが,不得意なことばかりやっているので楽しいものではない.

 一流や専門家というと,膨大な知識を連想する.記憶障害かもしれないと思うくらいには記憶力が悪いので,彼らの凄まじい記憶力は羨ましい.ところが,本書では,それもまた究極の鍛錬の成果だという.実際に達人に様々な種類の記憶力テストをさせたところ,彼らの専門では非常に素晴らしい成績を収めているが,専門を活かせない対象については人並みの結果しか残せていない.このことから達人はドメイン依存の記憶力が優れているだけだということがわかる(もちろんそれのアナロジーで良い成績を収めることも考えられる).そもそも人間の短期記憶の容量は高が知れている.達人は豊富な知識を元に意味の塊で物事を認識し,数個の塊を記憶している.要するに,膨大な知識が「一を聞いて十を知る」を実現している.これは,佐藤優氏の著書にあったインテリジェンスの話と似ている.

 私も学部時の就職活動で第一志望の企業からお祈りされ,その時の面接の最後に言われたある一言がきっかけで進学した.進学の目的は己の能力開発.修士を修了するまでに,大抵のことを自分自身で何とかできるようにするスキルを習得するのが目的だった.もちろん修士課程に在学しているので研究もしなければいけないし,そのために勉強もしなければいけない.いっぱいいっぱいになりながらも何とか初めて論文を書き上げたのだが,何を言っているのかさっぱりわからない(指摘してくれてありがとうざいます).その時に「ちゃんと言葉を扱えないと意思疎通を図れないのだなな」と思い,修士過程の2年間で日本語力の改善に大きく力を入れることにした.昨日最後の論文をほぼ書き終えたのだが,読み返してみると,自画自賛するのもどうかと思うが,この2年の努力が反映されている.

 本書でも訓練は「訓練対象を明確にし,それに集中的に取り組む」ことが大切だと述べている.図らずも,完璧なものではないが,究極の鍛錬のエッセンスを含んでいたために,この2年で大きく能力が向上したのかもしれない.本書では訓練のモデルとして以下の3つを挙げている.

  • 音楽モデル:やることが既に決まっており,質が問題のパターン.何度も繰り返すことで改善を期待できる.
  • チェスモデル:大量の事例をインプットする.
  • スポーツモデル:基礎スキルを固めるコンディショニングと,固有スキルの開発.

この2年間で日本語力を高めるために多くの本を読んできたのだが,読書はすべてのモデルを兼ねているように思う.「日本語を読む」スキル(=質)は何度も繰り返すことで改善を期待できそう.また,読書を通じて多くの事例(日本語,知識)をインプットできる.更に,文章から情報を理解することはあらゆる場面で要求されるので,基礎スキルを固めるコンディショニングも兼ねている.その代わり,研究活動を通して専門的なスキルは不十分だが,基礎スキルの方が大切.専門スキルは後で回収すればいい.

 2年前は,それまで本を読んだことがなかったので読書が苦痛すぎて一向にページが進まなかったのだが,今では読書自体に対して抵抗はなくなってしまった(本書のように読みづらい文章にはストレスを感じるが).本書の言葉で言い換えると,2年前,読書はラーニングゾーンであったが,今ではコンフォートゾーンになってしまった.本書ではコンフォートゾーンに居ては成長できないので,とてもつらいが,成長のためには意識的にラーニングゾーンに居る必要があるという.そろそろ数学もちゃんとやらないとなあ.春休みにやろう.

 思い返せば,とてもつらい究極の鍛錬.なぜ続けられたのだろうと考えると,ひとつは必要性(働かないと死ぬ).以前読んだ『人はいかに学ぶか』にも必要性が学習を加速すると書いてあった.でも,そもそも必要性はどこから芽生えてくるのだろうか?本書によると,最初はほんの少しの成功体験が積み重なることで,究極の鍛錬を支えうる内的動機が芽生えてくるそうだ. 

 価値ある内容だったが,とにかく読みづらくてストレスが溜まった.原書の方は読んでいないが,もしかしたら直訳なのかもしれない.それなら,英語で読んだほうが良さそう.松尾氏による『「経験学習」入門』も究極の鍛錬と重なる内容があり,こちらは『究極の鍛錬』と違って非常に簡単な文章で書かれている.もし本書が読みづらいと感じるのならば,『「経験学習」入門』に目を通してから読むといいかもしれない.

「経験学習」入門

「経験学習」入門

 

 

稲垣佳世子,波多野誼余夫『人はいかに学ぶか-日常的認知の世界』,中公新書,1989

 今回の記事は,『人はいかに学ぶか-日常的認知の世界』.昨年末に読み終えていたのだが,色々とやっていた結果,年を跨いでしまった.

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

 

 学ぶというと,どのようなイメージを抱くだろうか.小学校や中学校など,学校で教師が前に立って話をし,学生がそれを聞いている光景だろうか.私はもっとポジティブなものを想像したが,おそらく2年前ならそのようなイメージを抱いただろう.少なくともこうした姿は,学生たちは受身であり,積極的とは言えない.

 教育現場はこのように無能で受動的な学生を想定したような環境だが,本来人間は無能な存在ではないという.その根拠として,人間の祖先の猿を挙げている.猿は,ライオンなどに比べると,広範囲に生息している.ライオン等限られた地域に生息する生物はその地域で起り得る問題に対処できればよいが,広範囲に活動するには,より様々なリスクに対処できる必要がある.つまり,猿はこうした問題に対処できる,能動的で有能な学び手なのだ.ゆえに,猿から進化した人もまた能動的で有能な学び手と言える.

 そう考えると,先程述べた受動的で無能な学生を想定した教育方法は適切なのだろうかという疑問が浮かんでくる.本書は人間がいかに能動的で有能な学び手であるかを示すエピソードを多数示している.

 簡単にまとめると,能動性は,己が心の底から納得できる「必要性」と,「知的好奇心」(=なぜ?)に従うことで確認できる.有能さは,生得的制約も一部あるが,文化によるサポートや実際のアクションと豊富な知識による思考方向の制限で確かめられる.

 必要性はともかく,どのようにして知的好奇心を刺激すれば良いかは言及されていない.必要性を要求してるので勝手に湧くのだろうが.有能さについては,文化によるサポートや実際のアクションも結局,本書で言うところの概念的知識を得るところに意味がある.だから,アクションだけするというやりっぱなしはダメで,うまくいった時もいかなかった時も「なぜそうなったのか?」と問うことで概念的知識に昇華する,らしい.

 本書の良いところは,有能さは知識に依存すると明言している点にある.最近の意識高い本は意思決定についてばかりで(それはそれで価値ある内容だとは思うが),そもそも適切な意思決定を支援する知識について言及している本は,読んだ限りではほとんどなかった.やればなんとかなるマッチョを想定しているのだろうか…知識ないと意思決定できない…

 能動的に振る舞うには必要性が大事だという話もあった.本を書くような知的水準の高い人は大抵高校教育までの内容は十分に勉強しているだろうし,文脈を共有するためにも勉強し直さないと…さっさと修論から解放されたい…