備忘録

勉強や読書の記録

戸部良一他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』,ダイヤモンド社,1991

 また時間が空いてしまった…漸く修理に出していたノートPCが手元に戻ってきたので,もう言い訳はできない.今回からちゃんとブログの英語化もしないと.

 今回紹介するのは『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』だ.本書も非常に有名で,1984年出版にも関わらず読み続けられている.内容はタイトルの通りで,まず第1章でWWⅡ終戦までの6つの戦闘で失敗のケーススタディを行う.著者の生き抜いた時代では常識なのかもしれないが,軍事用語が多く読みづらい.しかし,第1章は読み飛ばしても後の理解に差し支えない.第2章でそれらから失敗の原因を抽出し,第3章では,進化論で指摘される「適応は適応能力を締め出す(adaptation precludes adaptability)」が日本軍に起ったと考え,分析を行う.

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 

 第2章の内容は次の図(P.239 表2-3)で要約される.各項目は独立ではなく,複雑に絡み合っている.

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 1. 目的と9. 評価については言うまでもないだろう.日本軍の戦略志向が短期決戦志向であるとは,日本軍は敵の艦隊に決戦を挑み,それに勝利し,南の資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば,米国は戦意を喪失し,講和が獲得できるというシナリオを立てていた.しかし,このシナリオは,決戦に勝利したとしてそれで戦争が終結するのか,敗北した場合にはどうなるのかが検討されていなかった.つまり,長期的な見通しのないまま開戦に踏み切った態度を短期決戦志向と言っている.

 次に,インクリメンタルな戦略策定についてだが,日本軍は初めにグランド・デザインがあったというよりは,現実から出発し,状況毎に時には場当たり的に対応し,それらの結果を積み上げていく思考方法を取っていた.ちなみにこのような思考方法は,客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われる限り,特に不確実な状況下において,極めて有効だそうだ.しかし,日本軍の戦略策定は「必勝の信念」「神明の加護」等情緒や空気が支配する傾向にあった.また,真珠湾攻撃は航空部隊の奇襲による戦果が大きかったことから,従来の大型戦艦同士による艦隊決戦しそうやそのための大艦巨砲主義から脱却する機会であったのに,伝統的な作戦思想を抜けきれなかった.したがって日本軍で客観的事実は尊重されておらず,故に一般化とフィードバックも行われなかったため,インクリメンタルな思考方法は機能していなかったと言える.

 一方米国は真珠湾マレー沖海戦日本海軍航空部隊によって英海軍の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の2隻が撃沈されたことから,素早く航空主兵への転換を行った.恐ろしいことに,米国が他人の失敗から学ぶのに対して日本は学ばないという構図はWWⅡが終わっても変わりないのだ.中条高徳著の『おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状』では,アメリカの学校に通う孫娘が課題で,WWⅡに関するエピソードを調べることになる.そこで彼女は士官学校に通っていた著者に質問状を送り,その返事を学校で発表した.結果,その授業では白熱した議論が行われたとあり,授業後には先生からも興味深い内容だったと言われた.そしてこの記述の後,敵味方関係なく学ぼうとする姿勢にこそアメリカの強さの源泉があると挙げられている.一方日本はWWⅡで敗北した自身の経験からも学ぼうとしていないように見える.戦後残ったのは極端な軍事アレルギーで,本著や前回紹介した岡崎久彦『戦略的思考とは何か』のように,冷徹に事実を見つめ直すことが,未来を考える上で必須だと思う.

おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状 (小学館文庫)

おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状 (小学館文庫)

 

 次に戦略オプションの狭さについてだが,旧日本軍に関してはインクリメンタルな思考法と関連がある. 旧日本軍はそれまでの戦闘で成果を挙げてきた戦法(短期型奇襲戦法,艦隊決戦思想)を好み,それに基いて作戦を立てていた.加えて,作戦遂行が困難になった時のためのコンティジェンシー・プランを立てていなかった.故に,旧日本軍の計画には堅実性と柔軟性がなかった.また,旧日本軍では統帥綱領など高級指揮官の行動を細かく規制したものが存在し,これらが聖典化する過程で,視野の狭小化,想像力の貧困化,思考の硬直化という病理現象が進行し,ひいては戦略の進化を阻害し,戦略オプションの幅と深みを制約したと考察されている.

 日本の技術体系は「零戦」「戦艦大和」に見ることができる.零戦は世界最高水準の航続力,スピード,戦闘能力を実現するために希少かつ加工が困難な軽量な超々ジュラルミンを使用したため,消費速度に生産が追い付かなかった.一方アメリカは零戦の2倍の馬力を持ち,最大時速を64km上回る「ヘルキャット」を開発し,量産体制を確立した.当時からアメリカの製品および生産技術体系は,科学的管理法に基づく徹底した標準化が基本だった.また,役割を明確にし,必要以上の機能を備えていない装備を作っていた.また,標準的な装備を作るというのは平均的な軍人でも容易に操作可能な装備を作るということでもある.これに対し日本軍は各装備の操作に名人芸を要求したため,人材の代替が困難であった.

 次に組織構造についてだが,ここでいう日本軍の集団主義は「個人の存在を認めず,集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とする」という意味ではなく,「個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく,組織とメンバーとの共生を志向するために,対人関係が最も価値あるものとされるという『日本的集団主義』」として定義されている.そこで重視されるのは,,組織目標と目標達成手段の合理的,体系的な形成・選択よりも,組織メンバー間の「間柄」に対する配慮であった.一方米軍は,臨機応変に指揮官を交代することで,硬直しがちな官僚組織にダイナミズムを導入していた.これの目的は,有能な者の能力をフルに発揮させ,同時に,同じポストに置き続けることによるその知的エネルギーの枯渇の回避だ.この交代人事システムは指揮官だけなく参謀についても実行されていた.当時の米海軍作戦部長キング元帥は,各自に精一杯仕事をさせることが重要であり,有能な少数の者にできるだけ多くの仕事を与えるのがよいと考えた一方で,同じ仕事を続けることによる疲労を恐れ,高級指揮官のほかに,作戦部員を前線の要員と約一年の周期で次々と交代させた.これによって人間の能力の裁量部分を活用,優秀な部員を選抜するとともに,前線に緊張感が導入されるだけでなく,意思決定のスピードも上がったという.

 陸海軍の統合についても米軍の方が優れたシステムを採用していた.米軍は陸軍参謀本部と海軍作戦部の上に陸海を統括する統合作戦本部が存在したが,このような統合機能は旧日本軍には存在しなかった.旧日本軍の作戦行動上の統合は,一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも,個人によって実現されることが多かった.曖昧な作戦目的やインクリメンタリズムに基づく戦略策定が,現場での微調整を絶えず要求し,判断の曖昧さを克服する方法として個人による統合の必要性を生み出した.加えて人的ネットワークの形成とそれを基盤とした集団主義的組織構造の存在が個人による統合を可能にする条件を提供した.個人による統合は,一面,融通無害な行動を許与する反面,原理・原則を書いた組織運営を助長し,計画的,体系的統合を不可能にしてしまう結果に陥りやすい.

 学習様式のシングル・ループは「目標と問題構造を所与ないし一定とした上で,最適解を選び出すという学習プロセス」である.しかし本来学習とは必要に応じて目標や問題の基本構造を再定義し変革し直すというよりダイナミックなプロセスが存在する.ダブル・ループ学習は「シングル・ループ学習に留まらず,自己の行動を絶えず変化する現実に照らして修正し,さらに進んで,学習する主体としての自己自体を作り替えていくという自己革新的ないし自己超越的プロセス」のことである.旧日本軍がシングル・ループ学習を行った理由として,客観的事実や理論の軽視・対人関係の優先が挙げられているが,それらに加えてもう一つ,興味深いエピソードが挙げられている.それは陸軍士官を育成するための士官学校でまさに,与えられた目的を最も有効に遂行し得る方法をいかにして既存の手段軍から選択するかという点に教育の重点が置かれていた.学生にとって問題は絶えず,教科書や教官から与えられるものであって,目的や目標自体を創造したり,変革することはほとんど求められなかったし,許容もされなかった.したがって日本軍エリートの学習は,現場体験による積み上げ以外になかったし,指揮官・参謀・兵ともに既存の戦略の枠組みの中では力を発揮するが,その前提が崩れるとコンティジェンシー・プランがないばかりか,全く異なる戦略を策定する能力がなかったのである.このような学習様式は少なくとも私が受けてきた教育に似ていて,悲しくなってくる.

 第3章で紹介される組織の環境適応理論には,組織がうまく環境に適応するためには,組織は直面する環境の機会や脅威に対して,ヒトや技術に基づく組織の戦略,資源,組織特性(構造・システム・行動)を一貫性をフィットさせなければならないとある.さらに,実際に行動した結果,成果が意図した通りのものであった場合は勝因を抽出・理論化して学習(learning)し,意図しないものであった場合はその原因を抽出・理論化する学習棄却(unlearning)を行う.第3章では,実は日本軍は環境に過適合してしまったという仮説の下で分析を行う.結論は,旧日本軍においては,戦略・戦術の原形が組織成員の共有された行動様式にまで徹底して高められていたという意味で,旧日本軍は適合しすぎて特殊化していた組織だったというものだ.

 適応力のある組織は,環境を利用して絶えず組織内に変異,緊張,危機感を発生させている,つまり,絶えず不均衡状態にしている.ある時点で組織の全ての構成要素が環境に適合することは良いが,環境が変化した場合には諸要素間の関係を崩して不均衡状態を作り出さねばならない.これにより組織の構成要素間の相互作用が活発になり,組織の中に多様性が生み出される.これにより組織内に時間的・空間的に均衡状態に対するチェックや疑問や破壊が自然発生的に起こり,進化のダイナミクスが始まるという.

 戦時以外の軍隊は極めて安定した組織である.だからこそ不均衡状態が必要なのだが,旧日本軍は安定していた.高木惣吉『太平洋海戦史』から次の引用がされている.

彼らは思索せず,読書せず,上級者となるにしたがって反駁する人もなく,批判を受ける機会もなく,式場の御神体となり,権威の偶像となって温室の裡に保護された.永き平和時代には上官の一言一句は何らの抵抗を受けず実現しても,一旦戦場となれば敵軍の意思は最後の段階迄実力を以て構想することになるのである.政治家が政権を争い,事業家が同業者と勝敗を競うような闘争的訓練は全然与えられていなかった.

このような組織に緊張を創造するためには,客観的環境を主観的に再構成あるいは演出するリーダーの洞察力,異質な情報・知識の交流,人の抜擢などによる権力構造の絶えざる均衡破壊などがカギとなる.

 また,極めて洗練された人事評価システムを持っていた旧日本海軍さえ学歴主義を否定することはできなかった.海軍兵学校の卒業席次は,兵学は全て理数系の実学であったため,理数科に強い学校秀才型の学生が有利だった.旧日本海軍にはハンモックナンバー主義と呼ばれる将校の序列・新旧制度があったが,これも成績万能の傾向が強く,大佐や将官クラスの上級指揮官の評価には必ずしも適さなかった.池田清は『海軍と日本』で,予測のつかない不足自体が発生した場合に,とっさの臨機応変の対応ができる人物は定型的知識の記憶に優れる学校秀才型からは生まれにくいと述べている.一方米海軍のニミッツ元帥が考案した昇進システムは,候補者を選び,その候補者とは関係のない人がその業績を評価,ある程度以上の能力を認められた場合は,ある階級以上の数名で議論して3/4以上の賛成で昇級させる.

 自律性を確保しつつ全体としての適応を図るために,自律性のある柔構造組織(ルース・カプリング型組織)を用意しなければならない.その特色は以下の通りである.

  1. それぞれの組織単位が自律性を持ち,自らの環境を細かく見て適応するので,小さな環境の変化に敏感に適応することができ,またそれが多様なルートで諸単位間に伝達されるので,相互作用が活発化し,全体として環境に敏感なシステムになる.
  2. 各組織単位は自律的に環境に適応していくので,適応の仕方に異質性,独自性を確保でき,どこかに創造的な解を生み出す可能性を持っている.
  3. 官僚制のようにタイトに連結された組織に比較して,組織単位間の相互の影響度が軽く自由度が高いので,予期しない環境変化に対する脆弱性が小さい.

軍事組織は,企業組織よりも剛構造のタイト・カプリング型組織になる.しかし,異質かつ多様な作戦を同時に展開するためには構成要素の主体的かつ自律的な適応を許すことが必須である.にもかかわらず,旧日本軍は現場の戦闘単位の自律性を制約し,参謀本部に極度の集権化を行っていた.一方米軍は必要な自律性を与える代わりに業績評価を明確にしていた.これに対して旧日本軍は結果よりもプロセスや動機を評価していた.

 自己革新組織は次のように記述されている.

組織が絶えず内部でゆらぎ続け,ゆらぎが内部で増幅され一定のクリティカル・ポイントを越えれば,システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍薄r.そのためには漸進的変化だけでは充分でなく,時には突然変異のような突発的な変化が必要である.したがって,進化は,創造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある.つまり自己革新組織は,絶えずシステム自体の限界を超えたところに到達しようと自己否定を行うのである.進化は創造的な者であって,単なる適応的なものではないのである.自己革新組織は,不断に現状の創造的破壊を行い,本質的にシステムをその物理的・精神的境界を越えたところに到達させる原理をうちに含んでいるのである.

日本軍はこの自己超越を過度の精神主義に求めた.行き過ぎた精神主義に基づく極限追及は,初めからそれができないことがわかっていたため,創造的破壊には至らなかった.

 イノベーションは異質な人,情報,偶然を取り込むところに始まる.これに対し官僚制とは,あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造であり,一部の権力者以外にイノベーションは実現できなかった.

 組織は進化するために,新しい情報を知識に組織化しなければならない.つまり,進化する組織とは学習する組織でなければならない.組織は環境との相互作用を通じて,生存に日宇町な知識を選択淘汰し,それらを蓄積する.旧日本軍には,個々の先頭から組織成員が得た事実や情報,失敗の蓄積・伝播を組織的にこなうリーダーシップもシステムも欠如していた.一方米軍は,ガダルカナルでの経験を基にその後の戦闘の成功と失敗の経験を累積的に学習していった.

 日本軍は個々の先頭結果を客観的に評価し,それらを次の先頭への知識として蓄積することが苦手だった.これに比べ,米軍は一連の作戦の展開から有用な新しい情報をよく組織化した.特に海兵隊は,水陸両用戦の知識を獲得していく過程で,個々の戦闘の結果,とりわけ失敗を次の作戦に必ず活かした.例えばタラワ作戦では日本側4800名の戦死に対し,海兵隊戦死1009名,戦傷2296名という大きな被害を出した.海兵隊はこの作戦から,以下のことを学んだ.

  1. 事前の砲爆撃の効果の確認
  2. リーフを乗り切る上陸用装甲車の必要性
  3. 着岸直前の近距離砲撃の必要性
  4. これを統制する水陸両用指揮官の必要性 

戦略的思考は日々のオープンな議論や体験の中で蓄積される.海兵隊は水陸両用作戦のドクトリンを海兵隊学校を中心に開発した.そのために一時授業をストップし,共感と学生が一体となって自由討議の中から水陸両用作戦のドクトリンを積み上げていった.このような戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身に着くのである.旧日本軍では日露戦争の幸運なる勝利についての真の情報は開示されず,その表面的な勝利が統帥綱領に集約され,戦略・戦術は暗記の世界になっていた.岡崎久彦は『戦略的思考とは何か』で「戦略が無ければ,情報軽視は必然の推移である」と述べていた.

 非常に長くなってしまったが,入社先で働く上で非常に有効だと思えたので,読んでいて目についた部分をほぼ全て引用してしまった.というより,この本を読んでいるに違いない…