備忘録

勉強や読書の記録

大塚英志『大学論 いかに教え,いかに学ぶか』,講談社現代新書,2013

 本書はまんがを教える大学で教鞭を取る大塚英志先生のエッセイである.サブタイトルにもあるように,大学での指導を通して何を教えるのか,大学でいかに学ぶのかという点にフォーカスされている.

 結局のところ,「自学」 が大切だという話になる.goo辞書で自学とは「自分一人で学ぶこと」とあるが,本書ではもっと詳細に,「自らその方法から始まり,領域に至るまでを構築していく在り方」と定義している.著者の師である千葉徳爾柳田國男を師として仰ぎ,師として学ぶことを決めた理由が,柳田が「自学の人」であったからだという.柳田から自学を学んだ千葉によって伝えられた自学は,著者のベースになっている. 

 そんな著者のカリキュラムの特徴が,1年次には徹底して「方法」のみを教えている点だ.その理由は,自分の内なるものを制御するために,自由を一切認めず,方法を徹底して実技を行い,習得させることで,2年次以降に自分の内なるものを制御して出力させるためだ.

 目的が分かっている場合にはこのような手法は有効だと思うのだが,目的が伝わらないとこのようなスタイルは中々退屈だと思う(まあ,手を動かさざるを得ないので,やった分だけで進捗が出るという意味ではつらくはなさそう).少なくとも自分の大学は勉強する気のない(苦労せずに報酬を最大化したい)学生が大半なので,そういう学生を,勉強させる方法よりも,どうやってやる気を出させる方法も結構大切だと思っている.そもそも勉強や研究に打ち込みたい学生は旧帝大に行くだろうし,そうではない学生を導く方法についてはあまり話されていないように思う.

 著者も『教育現場の中で,「いかに教えるか」という「方法」や,「方法」の見つけ方を教えるという態度がどこかで崩れたのかもしれない』と述べている.また,著者は大学教育についても,『大学生の教養や学力が低下したと叫ばれているが,そもそも大学教員の教養や学力が低下しているのではないか』と疑問を呈している.大学教員も人間なので,優秀な層とそうでない層の差が激しいのはしょうがない部分があると思う.ただ,研究は好きだけれど教育は好きではない人もそれなりにいそうで,そういう人は,企業の研究職に就いた方が幸せなのでは…と思ってしまう.少なくとも学部は教育機関だし,彼らの人生数年間を無にするのは,もし自分が大学教員なら絶対にやりたくない.

 少し話が逸れてしまった.

 「方法」を教えるという意味では,研究活動を通じて「方法」のいくつかを身につけられたので,時間を自由に使わせてくれる研究室で修士2年間を過ごせたのはよかった.ただ,考え続ける力はかなり弱いので,そろそろ「今まで勉強してこなかったのだから,そもそも考える材料がない.考えるよりも先に最低限の材料を揃えなければ」と言い訳せずに,それを鍛える時間を確保していかねば.以前紹介した逆説の軍事学で「十分な経験を積んでいるはずなのだから,考えることにリソースを割くべき」とあったが,十分な経験があるのだからリソースを割くべきであって,そもそも十分な経験がないのだから黙って勉強すべき.うん.

 それにしても,本書で登場するまんがを描くのに苦悩する学生を見ると,確かに「学力」自体は僕の方が上なのかもしれないが,どう考えても彼らの方が優秀である…悔しい…