備忘録

勉強や読書の記録

モーティマー J. アドラー,チャールズ V. ドーレン『本を読む本 読書家を目指す人へ』,講談社,1997

 本を探していたら目に入ってきた本書.以前,佐藤優氏の『知の読書術』を読んだが,それよりは遥かに役に立つ内容である.結論から言うと,論文の読み方と同じことが書いてあるので,普段から論文を読む人はわざわざ読む必要はないかもしれない.

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

 本書では,読書家を「情報や知識を,ラジオ・テレビなどのマスメディアではなく,活字によって得る習慣のある人」と定義している.さらに,マスメディアについては,必要なデータや資料を全てマスメディア側で用意することで,自分の頭でものを考えなくても済むようなパッケージを提供している,と評している.要するに,マスメディアに浸かり過ぎたために頭を使うことができなくなったと述べている.

 実際自分もテレビにずぶずぶだった時期があるので,大学院に進学するまで,そもそも「頭を使う」ということがどういうことかわからなかった.本書は,読書家になるための方法を記している.つまり,活字から情報・知識を得るために「頭を使う」方法を示している.

 本書では読書を,(1) 初級読書,(2) 点検読書,(3) 分析読書,(4) シントピカル読書,の4つのレベルに分けている.初級読書で重要なのは「文を読んで意味を理解できること」.点検読書では「時間内にある程度の量の内容を把握できること」,分析読書では「理解を深めること」が重要である.シントピカル読書はあるテーマに関して複数の本を読み,得た内容を自分の中で再構築する読書法である.

 初級読書はここでは触れないでおく.人の文章を読んで意味を汲み取れる人は読む必要はない(大変恐ろしいことに,汲み取れない人は少なくないのだが).

 点検読書は,論文のサーベイに相当する.タイトルや序文,もしあれば「終わりに」(論文では,タイトルとイントロダクション,結論)をざっと見る.さらに,索引を見て,参照箇所の多い用語のページを読む.最後に,各章や節の冒頭や末尾における要約を意識しながら拾い読みをする.

 ところで,この点検読書に関する章では,速読についても触れている.読むのが遅い理由として,(1) 目の固定,(2) 一度読んだ部分をもう一度読み直す,が挙げられている.最近では速読法に関する書籍も多いが,本書では,読むのが遅い原因と,それへの対処法して以下のように記述している.

 精神は目と違って一度に一つの単語や句だけを「読む」 わけではない.精神というこの素晴らしい人間の道具は,ただ目を通して必要な情報が与えられさえすれば,ほんの一目で一つの文また一つのパラグラフさえも掴み取ることがができる.だから,読者の精神の働きを妨げる目の固定や逆戻りをまず第一に矯正しなくてはならない.幸いな殊に,これは簡単に治せる.そうすると読者は目の動きに縛られず,精神の活動のスピードに合わせて早く読めるようになる.

 目を固定する癖をなおすには自分の手を使うだけでよい.自分で手をページの上に置いて,それをだんだん速く動かす練習をする.親指,人差し指,中指をそろえ,これを活字の行に沿って目の動きより早めに移動させる.多少無理しても,この手についていくよう努力をする.やがて,その手の動きの通りの速さで字が読めるようになってくる.そうしたら手の方のスピードをあげてみる.この繰り返しを続けると,いつの間にか読みの速度は二倍にもなっているだろう.

 速読ができれば理解が深まるわけではないと思う人もいると思う.しかし本書では,手を動かすことで,読みの速度を速めるだけでなく,居眠りをしたり他のことを考えたりすることがなくなるので,集中力を高める役目があるという.

読書の集中力とは,積極性と同じであり,良い読者とは,集中力を持って積極的に能動的に読む人を言う. 

耳が痛い.ちなみに,眼を覚ましていられるかは読書の目的で決まるとも言っている.読書によって得られる内容から,利益を得ることを目的にする.つまり,見返りを求めろ,ということだ.

 積極的な読書をする上で重要なのが,「読んでいる間に質問し,それに対して自分で答えること」.この質問とは,(1) 全体として何に関する本か,(2) 何がどのように詳しく述べられているか,(3) その本は全体として真実か,あるいはどの部分が真実か,(4) それはどんな意義があるのか,の4つである.これ以降の内容も,この4つの質問に基づいている.

 次に,分析読書について.分析読書の規則として,次の5規則を挙げている.

Ⅰ 分析読書の第一段階 ―何についての本であるか見分ける―

 1. 種類と主題によって本を分類する.

 2. その本全体が何に関するものであるかをできるだけ簡潔に述べる.

 3. 主要な部分を順序よく関連付けてあげ,その概要を述べる.

 4. 著者が解決しようとしている問題が何であるかを示す.

 

Ⅱ 分析読書の第二段階 ―内容を解釈する―

 5. キー・ワードを見つけ,著者と折り合いをつける.

 6. 重要な文を見つけ,著者の主要な命題を把握する.

 7. 一連の文の中に著者の論証を見つける.または,いくつかの文を取り出して,論証を組み立てる.

 8. 著者が解決した問題はどれで,解決していない問題はどれか,見極める.未解決の問題については,解決に失敗したことを,著者が自覚しているかどうか見定める.

 

Ⅲ 分析読書の第三段階 ―知識は伝達されたか―

 (A) 知的エチケットの一般的心得

  9. 「概略」と「解釈」を終えない内は,批評に取り掛からないこと(「わかった」と言えるまでは,賛成,反対,判断保留の態度の表明を差し控えること.)

  10. けんか腰の反論は良くない.

  11. 批評的な判断を下すには,十分な根拠を挙げて,知識と単なる個人的な意見をはっきり区別すること.

 (B) 批判に関してとくに注意すべき事項

  12. 著者が知識不足である点を,明らかにすること.

  13. 著者の知識に誤りがある点を,明らかにすること.

  14. 著者が論理性に欠ける点を,明らかにすること.

  15. 著者の分析や説明が不完全である点を,明らかにすること.

2. はまあいいだろう.3. は一番大きな部分でのアブストや,より小さな部分でのアブストを意識することである.ちなみに「構成」については,作者が示すものよりも,自分で構築したものが優れている場合もあるので,読者は自分で構成を示さなければならないとある.6. では,著者の命題を理解できたか判断するために「自分の言葉で言い換えてみる」ことを勧めている.

 これらの規則はあくまで理想である.しかし,理想的な読書に近づくには,一冊でも上記の規則を守って読む必要がある.そのためにも点検読書で良著を選別しなければならない.

 分析読書は一冊の理解を目指しているのに対し,シントピカル読書は複数の本の理解を目的としている.以下にシントピカル読書のまとめを示す.

Ⅰ シントピカル読書の準備作業 ―研究分野の調査

 1. 図書館の目録,他人の助言,書物についている文献一覧表などを利用して,主題に関する文献表を作成する.

 2. 文献表の書物を全部点検して,どれが主題に密接な関連を持つかを白江,また主題の観念を明確につかむ(これら2つの作業は,必ずしもこの順番にするわけではない.つまり,この2つは,相互に影響し合うものだからである.)

 

Ⅱ シントピカル読書 ―準備作業で集めた文献を用いて

 第一段階

  準備作業で関連書とした書物を点検し,もっとも関連の深い個所を発見する.

 第二段階

  主題について,特定の著者に偏らない用語の使い方を決め,著者に折り合いをつけさせる.

 第三段階

  一連の質問をして,どの著者にも偏らない命題を立てる.この質問には,大部分の著者から答えを期待できるようなものでなければならない.しかし,実際には,著者が,その質問に表立って答えていないこともある.

 第四段階

  様々な質問に対する著者の答えを整理して,論点を明確にする.あい対立する著者の論点は,甘楽ずしも,はっきりした形で見つかるとは限らない.著者の他の見解から答えを推測することもある.

 第五段階

  主題を,できるだけ多角的に理解できるように,質問と論点を整理し,論考を分析する.一般的な論点を扱ってから,特殊な論点に移る.各論点がどのように関連しているかを,明確に示すこと.(弁証法的な公平さと客観性とを,全過程を通じて持ち続けることが望ましい.そのために,ある論点に関して,ある著者の見解を解釈するとき,必ず,その著者の文章から原文を引用して添えなくてはならない.)

 いずれ自分の周りに教師はいなくなるので,自分自身が教師とならなければならない.そのためには先人の知恵を学ぶ,知る必要がある.優れた読書家になることで,教師のいない環境でも学び続けることができる.ようやく修士論文からも解放されたので,良著の読書と勉強に勤しまねば.

優れた読者になるためには,本にせよ,論文にせよ,無差別に読んでいたのではいけない.楽に読める本ばかり読んでいたのでは,読者としては成長しないだろう.自分の力以上の難解な本に取り組まねばならない.こういう本こそ読者の心を広く豊かにしてくれるのである.心が豊かにならなければ学んだとは言えない. 

精神の成長は人間の偉大な特質であり,ホモ・サピエンスと他の動物とが大きく違っているのもこの点である.動物にはこのような精神の成長は見られない.だが人間にだけ与えられたこの優れた精神も,筋肉と同じで,使わないと萎縮してしまう恐れがある.精神の鍛練を怠ると,“精神萎縮”という代償が待っている.それは精神の死滅を意味する恐ろしい病である.