備忘録

勉強や読書の記録

橋本素子『日本茶の歴史』,淡交社,2016

 静岡と言えば日本茶.個人的に日本茶が大好きで,高級なお茶も結構飲んでいるのだが,日本茶の歴史を全く知らないので,学会参加の際に静岡を通過している間に読んでみた.内容自体は,一次史料も確認しているようなので,信頼できるとは思う.が,論文の雰囲気に近いので,単に趣味や娯楽のために読むには少しハードルが高いかもしれない.

日本茶の歴史 (茶道教養講座)

日本茶の歴史 (茶道教養講座)

 

 茶は,酸化発酵度(酸化発酵ではなく,酸化酵素の活性度)によって,(1) 不発酵茶(酸化発酵度0%,摘んですぐに熱を加えて酸化酵素の活性を止めた茶),(2) 発酵茶(酸化発酵度100%,摘んでよく揉む等して傷口を作り,十分に酸化酵素の活性を促した茶),(3) 半発酵茶(酸化発酵度1~99%の全て),の3種類に分けられるそうだ.このうち日本茶は (1) に属し,(2) の代表的なものは紅茶,(3) の代表的なものは烏龍茶,だそうだ.

 緑茶は種類によって作り方が異なる.露地茶園で摘まれる茶は煎茶用に,覆下茶園や直掛け茶園などの被覆茶園で摘まれる茶は玉露や抹茶の原料である碾茶用になる.葉に日を当てることで何が変わるかというと,根の部分で生成される,茶だけが作れる旨味成分テアニンが渋み成分カテキンに変化する.

 抹茶は戦国時代の宇治で,煎茶は江戸時代中期の宇治田原で,玉露は江戸時代末期の宇治もしくは宇治田原で発明されたことが明らかになっている.しかし,日本茶はいつから存在するのだろうか.日本茶は,茶木が自生可能な地域で茶木が確認されていないために,中国から伝来したものと考えられている.では,いつ渡来したのか.本書によると,中国から,(1) 平安時代前期(西暦800年代の初め)に唐から茶を煮出して飲む『煎茶法』,(2) 鎌倉時代初期(1100年代末期)に宋から抹茶に湯を注ぎ飲む『点茶法』,(3) 江戸時代前期(1600年代後半)に明から葉茶に湯を浸してそのエキスを飲む『淹茶(えんちゃ)法』,の計3回の伝来があったそうだ.

 しかし,中国の喫茶文化をそのまま受け入れたわけではない.本書では,中国から伝えられた喫茶文化が,日本固有の茶への変遷を辿っていく.

 既に述べたように,日本最古の日本茶平安時代には確認できているが,鎌倉時代前期までは一般に広まっていなかった.鎌倉時代中期には寺院を中心に茶の生産が行われ,後期には庶民も茶の生産を行えるようになっていた.現在はお茶を作る際に複数の茶葉のブレンドを行うが,この工程は室町時代には確認できている.また,筆者は,この時代には庶民も抹茶を飲むことができたと考えている.戦国時代末期では,それまで宇治茶と肩を並べていたトップブランドである栂尾茶は跡目争いが起きたことをきっかけに衰退するが,茶のブランド争いは依然として熾烈なものだった.この競争に勝ち抜くために,戦国〜安土桃山時代の宇治では茶の栽培方法から経営に至るまでの大改革の結果として,宇治茶は茶のトップブランドとしての地位を確立した.江戸時代前期に入ると,『淹茶法』が伝えられた.また,明から「唐茶」が伝えられたことで,茶葉を揉む工程が取り入れられた結果,煎茶が発明された.江戸時代後半には玉露も発明されたが,その起源は明らかになっていない.明治時代には,茶は茶農家,仲買人,産地問屋,日本人売込問屋,外国商館を経てアメリカに輸出されていたが,明治時代後半になるとインドのセイロン紅茶の猛攻によりシェアを奪われた.また,同時期から茶の品質改善のために品種選抜が行われていた.WWⅡ以前は在来茶園からの優良品種の選抜が中心だったが,1960年代に挿し木技術が確立されると,人工的な交配による品種開発が行われるようになった.

 意外だったのは,明治時代に日本茶がアメリカへ輸出されていたという点.その時期のアメリカでは緑茶よりもコーヒーや紅茶が好まれていると思っていたので,新たな知識を得ることができた.

 もし日本茶に興味があるのなら,読んでみて損はないと思う.