備忘録

勉強や読書の記録

アトゥール・ガワンデ『死すべき定め―死にゆく人に何ができるか』,みすず書房,2016

 本書は外科医であるアトゥール・ガワンデが,避けられない死にどう向き合うべきかとテーマで書いた論考である.科学や医療の進歩により我々の寿命は飛躍的に長くなった.結果として高齢化社会が進んでいる今,読んでおいて損はない一冊である. 

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

 

 

 全ての人はいつか死ぬ.老いと病に向き合う上で,恐れか望みか,どちらが自分にとって最も大事なのかを決めなければならない.奇遇にも,本書で提示される視点と私の視点は一致している.死を予感してからの時間の過ごし方は非常に重要である.多くの場合は,例えば癌であれば完治しないのは自明でありながらも化学療法の適用といったように,延命処置を行う.しかし,果たしてそれは患者にとって幸せなのだろうか?苦しみを長引かせ,病院で磔にされ自由はほぼない.残された貴重な時間をそのように使うのは,患者にとって本当に幸せなのだろうか?

 少なくとも私はそうは思わない.私の父は非常に高齢で,食事量の割にアルコール摂取量が異常に多いので,そう遠くない内に死んでしまうと思っているのだが,本人の楽しみが酒なので,止めることもないかと考えて特に何も言ったりはしない.息子としては長生きしてほしいので「そんなに飲まなくても…」とは思うが,他人の考えるその人の幸せと,当人の考える自分の幸せは一致するとは限らないので,可能な限り本人の意思を尊重したい.

 医師は患者の意思を尊重するためにも,情報提供的な態度(冷酷な現実とその説明の提供)ではなく,相手が聞きたいことは何かを問い,相手に伝え,相手がどう理解したかを問う,「問い,伝え,問う」スタイルを提案している.患者に限らず他の状況でも役に立ちそうなメソッドだと思う.

 少し話は逸れたが,本人の意志の尊重,つまり,本人の自由を守るためにも,親ともそういう話をしておかないとなあ…とは思うものの,生きてる親と向き合って死んだ時の話をする気にもなれない…難しい…

上田正仁『東大物理学者が教える「考える力」の鍛え方』,ブックマン社,2013

 研究室の後輩が本書を読んでいたのだが,最初と最後,目次を見たところ中々良さそうだったので,読んでみた.

東大物理学者が教える「考える力」の鍛え方

東大物理学者が教える「考える力」の鍛え方

 

 内容自体は特別目新しいものはなかったが,高校時代や大学院入学直後に読んでおきたかった.「考える」とは何かと書いた本は数多く存在するが,ここまで細かく書いた本は中々ないように思う.

 著者は「考える」ことを,「問題を見つける」「解く」「諦めない」の3つのプロセスから成るものとしている.「問題を見つける」では,「漠然としたわからない」状態を「問題はわかっているが答えがわからない」状態に進化させる.

 そのために,著者は地図メソッドを提案している.まず,サーベイを行い,情報の整理・理解に努め,理解したものを除外するというプロセスを繰り返す.この際に注意すべき点は,情報収集よりも情報の読み込みに時間をかけることである.理由は2点ある.1つ目は,たくさんの資料に意識を集中するよりも,情報を精査して理解できる点を明確にし,意識の集中先を理解できない問題に集中した方がよいからだ.もう一つが,同じ情報にもう一度アクセスする手間よりも,読み切れない情報をストックし続けることで意識が分散する方がコスパが悪いからだ.また,サーベイ・情報整理のプロセスで,メモは必ず自分の言葉で書くようにとも言っている.自分の言葉で表現しようとすることで,脳の中で情報の処理が行われるので,記憶に定着しやすいそうだ.ブログも時間がないを言い訳に引用で済ませがちな私には耳が痛い….

 サーベイ・情報整理を通じて理解できる点,理解できない点をリストアップし,理解できない点から解きたい問題を探し出す.このようにして決められた問題の解き方は,「複雑な問題を類型化して,要素化し,1つ1つ潰していく」とある.この類型化を多角的に行うのが重要なのだが,そのために必要なのが受験勉強等で培われる知識なんだろうなあと最近しみじみ実感している.圧倒的に知識が足りていない.最近はバカ向けの本が充実しているので,少しずつでも遅れを取り戻していかないと…

 「諦めない」では造山力(レッド/ブルーオーシャンの話) やスタートに戻る重要性を説いている.特に,スタートに戻る話は,非常に同意できる.昔音楽していた時も半年ほど成長が無く,一旦積み上げてきたものを全て崩し,基本からもう一度試行錯誤しながら積み上げた結果,技術が大きく向上した.それを見ていた先輩に「0に戻すことができる人は中々いない」と言われたが,そういうものなのだろうか…技術の向上が目的だったのでそれさえ達成できるなら方法は何でもいいと思っているので特別に苦に感じたりはしなかったのだが…

 本書の優れた点は,これらのプロセスをシステマチックに記述している点にある.基本的に成果が出ないのはシステム(環境的要因や思考プロセス等)の問題だと思っているので,その点で手続きの具体例が書かれているのは非常に有益だった.ピカソや著名なピアニストであるグレン・グールドも先人の知識をひたすらにサーベイした上で自身のオリジナリティを見出したというエピソードも紹介されている.サーベイ大事.

 さっさとバカを卒業したい…バカつらい……

冨澤暉『平和を支える力の論理 逆説の軍事論』,バジリコ,2015

 この先忙しくなるばかりで何時まで経っても投稿できる未来が見えないので,諦めて簡単に書くことにし,ようやく追いついた…

 本書は元陸上自衛隊幕僚長の著者が語る軍事学入門書である.非常に平易かつ明瞭に書かれており,著者の思考の鋭さを窺える.

逆説の軍事論

逆説の軍事論

 

 軍事の歴史から各国の動向,そして日本の軍事へとシフトしていくが,特に印象に残っているのが,第12章の「リーダーシップとフォロワーシップ」の部分である.

結局のところ,統率力とは各級の指揮官となる者が自ら学び考え,自ら修練して身に付けていくものだというしかありません. 

著者は,指揮官には「能力」で率いる人と「人格」で率いる人がおり,どちらも満点がベストだが片方でも満点を取れる人はほぼいないので,常日頃の鍛錬が重要だと言う.私と全く同じ考えだ.

 筆者は,

「能力」を向上させるには,もちろん自らの体験を増やし,そこで得たものを蓄積していくということが必要です.しかし,個人の体験と言う者は極めて限定されたものなので,他人の体験を借りてこなければなりません.これが「学ぶ」ということです.そして孔子が「学びて思わざれば,すなわち暗し」と言っているように「いかに学んでも自分で考えなければ前が見えず前進できない」ということになります.「思う・考える」ということは自分や他人の体験例をただ羅列するのではなく,その体験・知識に筋を通し傾向や論理を自ら作り上げ,変転する状況の先を合理的に正しく洞察するということのようです.むろん,ここでは他人の作った論理をも学んで利用します.それらの繰り返しの努力によって人の能力が向上するのです.

「学ぶことと考えることのどちらを優先すべきか」という問題は難しいのですが,私は,成人には「考えることを優先するよう」進めています.なぜなら成人は否応なくすでに相当学んでいるはずなので,今こそ「考えるべき時」だと思うからです.私自身の体験からすると,考えればおのずと学びたくなるものです.けれども,学べば考えたくなるとは必ずしも言えません. まずは「考える」ことなのです.

一方,「人格」を陶冶するにはどうしたらよいのでしょうか.ここでいう「人格」とは「他人と折り合っていく力」あるいは「他人を惹きつけ共に行動しようと思わせる力」とでもいうことができるでしょうか.一見やさしそうですが,この力を向上させることはとても難しいことのようです.それを得るための方法はおそらくいくつかあるのでしょうが,私は若い学生たちに「なんとなく嫌いな人,付き合いたくない人を避けずに,彼らと積極的に付き合いなさい」と勧めています.「社会人になれば,そういう人たちばかりに取り囲まれるのですよ.そのすべてを避けていたら貴君は生きていけなくなるのですよ」とも言います.「そういう人たちと無理してでも真剣に付き合っているうちに,その相手の悪いところも,意外に良いところもわかってくるし,それ以上に貴君自身のいいところも意外に悪いところもわかってくるでしょう.そこで相手のいいところを取り,自分の悪いところを抑えて付き合う,そうした付き合いを続けていけば好き嫌いの感情もまた変わってくるのです」と話しています.

示唆に富む…というか大変ありがたいことではあるが,私が全力で殴られている…

 更に,孔子の『論語』から「自身の心に誠実に」と「相手にも信念があるのだから認めてやれ」というエピソードを引いて,「自分には厳しく,他人には優しく.」と説くのは簡単だが,現実には「自分に厳しいが他人にも厳しい」,「自分にも他人にも優しい」,「自分には優しいが他人には厳しい」といった3タイプがほとんどであり,いずれも「人格者」ではなく指揮官・統率者になれないのはもちろんだが「良き服従者」にもなれないと言っている.

 私は「自分に厳しいが他人にも厳しい」タイプなので気をつけねば…良心の押しつけが良くないのには同意するが,「基本的に好きにすればいいが結果は自分で何とかしろ」と思っているので,もう少し優しさを身につける必要性を感じる…

 そして最後にこのようにまとめている.

  1. 「統率」はあくまで個人個人のもの.
  2. 「統率」はその時々の環境により変わる.
  3. 「統率」は昔の例を真似てもできない.
  4. 「統率」に百点満点は有り得ない.
  5. 「統率力(リーダーシップ)」の錬成は困難だが諦めてはいけない.常に「能力」「人格」の向上に努めなければならない.
  6. 「統率」を支えるフォロワーシップのためには,組織の構成員(社員・国民一般)に対する精神教育(最も基礎的な普遍的良心の教育)が大変重要だが,これを個人に対する良心の押しつけととられないように注意する必要がある.

 「人格」はそういった本を多く読んできたので大分ましになったが,「能力」は不十分なので,もっと磨いていかねば…(とは言え適切な環境で学ぶほうがトータルで割く時間が圧倒的に違うので今はその時期ではないと思ってスルーしている).

池上彰『1テーマ5分でわかる 世界のニュースの基礎知識』,小学館,2010

 『そうだったのか!現代史』ぶりの池上彰氏の著書.相変わらず平易な言葉で解説されており,関心してしまう.前回紹介した『そうだったのか!現代史』は歴史にフォーカスしていたが,本書は現代社会にフォーカスしている.

「1テーマ5分」でわかる世界のニュースの基礎知識

「1テーマ5分」でわかる世界のニュースの基礎知識

 

 歴史を一通り学んでから,自分で解説を書き,池上氏の解説と比べると勉強になりそう.あまりの能力の差に心が折れそうだが…

大阪大学歴史教育研究会『市民のための世界史』,大阪大学出版会,2014

 本書は,高校世界史を十分に勉強してこなかった学生や,そもそも世界史を学んでない学生を対象に書かれた世界史概略である.中学歴史程度の知識を前提に書かれただけでなく,適宜それまでの章の内容で必要な部分も何度か記述されているため,学び直しに最適の一冊という感想を抱いている.

市民のための世界史

市民のための世界史

 

 さっさと修論を片付けて,まとまった勉強する時間を確保し,もう一度読み直したい…

戸部良一他『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』,ダイヤモンド社,1991

 また時間が空いてしまった…漸く修理に出していたノートPCが手元に戻ってきたので,もう言い訳はできない.今回からちゃんとブログの英語化もしないと.

 今回紹介するのは『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』だ.本書も非常に有名で,1984年出版にも関わらず読み続けられている.内容はタイトルの通りで,まず第1章でWWⅡ終戦までの6つの戦闘で失敗のケーススタディを行う.著者の生き抜いた時代では常識なのかもしれないが,軍事用語が多く読みづらい.しかし,第1章は読み飛ばしても後の理解に差し支えない.第2章でそれらから失敗の原因を抽出し,第3章では,進化論で指摘される「適応は適応能力を締め出す(adaptation precludes adaptability)」が日本軍に起ったと考え,分析を行う.

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 

 第2章の内容は次の図(P.239 表2-3)で要約される.各項目は独立ではなく,複雑に絡み合っている.

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 1. 目的と9. 評価については言うまでもないだろう.日本軍の戦略志向が短期決戦志向であるとは,日本軍は敵の艦隊に決戦を挑み,それに勝利し,南の資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば,米国は戦意を喪失し,講和が獲得できるというシナリオを立てていた.しかし,このシナリオは,決戦に勝利したとしてそれで戦争が終結するのか,敗北した場合にはどうなるのかが検討されていなかった.つまり,長期的な見通しのないまま開戦に踏み切った態度を短期決戦志向と言っている.

 次に,インクリメンタルな戦略策定についてだが,日本軍は初めにグランド・デザインがあったというよりは,現実から出発し,状況毎に時には場当たり的に対応し,それらの結果を積み上げていく思考方法を取っていた.ちなみにこのような思考方法は,客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われる限り,特に不確実な状況下において,極めて有効だそうだ.しかし,日本軍の戦略策定は「必勝の信念」「神明の加護」等情緒や空気が支配する傾向にあった.また,真珠湾攻撃は航空部隊の奇襲による戦果が大きかったことから,従来の大型戦艦同士による艦隊決戦しそうやそのための大艦巨砲主義から脱却する機会であったのに,伝統的な作戦思想を抜けきれなかった.したがって日本軍で客観的事実は尊重されておらず,故に一般化とフィードバックも行われなかったため,インクリメンタルな思考方法は機能していなかったと言える.

 一方米国は真珠湾マレー沖海戦日本海軍航空部隊によって英海軍の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」の2隻が撃沈されたことから,素早く航空主兵への転換を行った.恐ろしいことに,米国が他人の失敗から学ぶのに対して日本は学ばないという構図はWWⅡが終わっても変わりないのだ.中条高徳著の『おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状』では,アメリカの学校に通う孫娘が課題で,WWⅡに関するエピソードを調べることになる.そこで彼女は士官学校に通っていた著者に質問状を送り,その返事を学校で発表した.結果,その授業では白熱した議論が行われたとあり,授業後には先生からも興味深い内容だったと言われた.そしてこの記述の後,敵味方関係なく学ぼうとする姿勢にこそアメリカの強さの源泉があると挙げられている.一方日本はWWⅡで敗北した自身の経験からも学ぼうとしていないように見える.戦後残ったのは極端な軍事アレルギーで,本著や前回紹介した岡崎久彦『戦略的思考とは何か』のように,冷徹に事実を見つめ直すことが,未来を考える上で必須だと思う.

おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状 (小学館文庫)

おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状 (小学館文庫)

 

 次に戦略オプションの狭さについてだが,旧日本軍に関してはインクリメンタルな思考法と関連がある. 旧日本軍はそれまでの戦闘で成果を挙げてきた戦法(短期型奇襲戦法,艦隊決戦思想)を好み,それに基いて作戦を立てていた.加えて,作戦遂行が困難になった時のためのコンティジェンシー・プランを立てていなかった.故に,旧日本軍の計画には堅実性と柔軟性がなかった.また,旧日本軍では統帥綱領など高級指揮官の行動を細かく規制したものが存在し,これらが聖典化する過程で,視野の狭小化,想像力の貧困化,思考の硬直化という病理現象が進行し,ひいては戦略の進化を阻害し,戦略オプションの幅と深みを制約したと考察されている.

 日本の技術体系は「零戦」「戦艦大和」に見ることができる.零戦は世界最高水準の航続力,スピード,戦闘能力を実現するために希少かつ加工が困難な軽量な超々ジュラルミンを使用したため,消費速度に生産が追い付かなかった.一方アメリカは零戦の2倍の馬力を持ち,最大時速を64km上回る「ヘルキャット」を開発し,量産体制を確立した.当時からアメリカの製品および生産技術体系は,科学的管理法に基づく徹底した標準化が基本だった.また,役割を明確にし,必要以上の機能を備えていない装備を作っていた.また,標準的な装備を作るというのは平均的な軍人でも容易に操作可能な装備を作るということでもある.これに対し日本軍は各装備の操作に名人芸を要求したため,人材の代替が困難であった.

 次に組織構造についてだが,ここでいう日本軍の集団主義は「個人の存在を認めず,集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とする」という意味ではなく,「個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく,組織とメンバーとの共生を志向するために,対人関係が最も価値あるものとされるという『日本的集団主義』」として定義されている.そこで重視されるのは,,組織目標と目標達成手段の合理的,体系的な形成・選択よりも,組織メンバー間の「間柄」に対する配慮であった.一方米軍は,臨機応変に指揮官を交代することで,硬直しがちな官僚組織にダイナミズムを導入していた.これの目的は,有能な者の能力をフルに発揮させ,同時に,同じポストに置き続けることによるその知的エネルギーの枯渇の回避だ.この交代人事システムは指揮官だけなく参謀についても実行されていた.当時の米海軍作戦部長キング元帥は,各自に精一杯仕事をさせることが重要であり,有能な少数の者にできるだけ多くの仕事を与えるのがよいと考えた一方で,同じ仕事を続けることによる疲労を恐れ,高級指揮官のほかに,作戦部員を前線の要員と約一年の周期で次々と交代させた.これによって人間の能力の裁量部分を活用,優秀な部員を選抜するとともに,前線に緊張感が導入されるだけでなく,意思決定のスピードも上がったという.

 陸海軍の統合についても米軍の方が優れたシステムを採用していた.米軍は陸軍参謀本部と海軍作戦部の上に陸海を統括する統合作戦本部が存在したが,このような統合機能は旧日本軍には存在しなかった.旧日本軍の作戦行動上の統合は,一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも,個人によって実現されることが多かった.曖昧な作戦目的やインクリメンタリズムに基づく戦略策定が,現場での微調整を絶えず要求し,判断の曖昧さを克服する方法として個人による統合の必要性を生み出した.加えて人的ネットワークの形成とそれを基盤とした集団主義的組織構造の存在が個人による統合を可能にする条件を提供した.個人による統合は,一面,融通無害な行動を許与する反面,原理・原則を書いた組織運営を助長し,計画的,体系的統合を不可能にしてしまう結果に陥りやすい.

 学習様式のシングル・ループは「目標と問題構造を所与ないし一定とした上で,最適解を選び出すという学習プロセス」である.しかし本来学習とは必要に応じて目標や問題の基本構造を再定義し変革し直すというよりダイナミックなプロセスが存在する.ダブル・ループ学習は「シングル・ループ学習に留まらず,自己の行動を絶えず変化する現実に照らして修正し,さらに進んで,学習する主体としての自己自体を作り替えていくという自己革新的ないし自己超越的プロセス」のことである.旧日本軍がシングル・ループ学習を行った理由として,客観的事実や理論の軽視・対人関係の優先が挙げられているが,それらに加えてもう一つ,興味深いエピソードが挙げられている.それは陸軍士官を育成するための士官学校でまさに,与えられた目的を最も有効に遂行し得る方法をいかにして既存の手段軍から選択するかという点に教育の重点が置かれていた.学生にとって問題は絶えず,教科書や教官から与えられるものであって,目的や目標自体を創造したり,変革することはほとんど求められなかったし,許容もされなかった.したがって日本軍エリートの学習は,現場体験による積み上げ以外になかったし,指揮官・参謀・兵ともに既存の戦略の枠組みの中では力を発揮するが,その前提が崩れるとコンティジェンシー・プランがないばかりか,全く異なる戦略を策定する能力がなかったのである.このような学習様式は少なくとも私が受けてきた教育に似ていて,悲しくなってくる.

 第3章で紹介される組織の環境適応理論には,組織がうまく環境に適応するためには,組織は直面する環境の機会や脅威に対して,ヒトや技術に基づく組織の戦略,資源,組織特性(構造・システム・行動)を一貫性をフィットさせなければならないとある.さらに,実際に行動した結果,成果が意図した通りのものであった場合は勝因を抽出・理論化して学習(learning)し,意図しないものであった場合はその原因を抽出・理論化する学習棄却(unlearning)を行う.第3章では,実は日本軍は環境に過適合してしまったという仮説の下で分析を行う.結論は,旧日本軍においては,戦略・戦術の原形が組織成員の共有された行動様式にまで徹底して高められていたという意味で,旧日本軍は適合しすぎて特殊化していた組織だったというものだ.

 適応力のある組織は,環境を利用して絶えず組織内に変異,緊張,危機感を発生させている,つまり,絶えず不均衡状態にしている.ある時点で組織の全ての構成要素が環境に適合することは良いが,環境が変化した場合には諸要素間の関係を崩して不均衡状態を作り出さねばならない.これにより組織の構成要素間の相互作用が活発になり,組織の中に多様性が生み出される.これにより組織内に時間的・空間的に均衡状態に対するチェックや疑問や破壊が自然発生的に起こり,進化のダイナミクスが始まるという.

 戦時以外の軍隊は極めて安定した組織である.だからこそ不均衡状態が必要なのだが,旧日本軍は安定していた.高木惣吉『太平洋海戦史』から次の引用がされている.

彼らは思索せず,読書せず,上級者となるにしたがって反駁する人もなく,批判を受ける機会もなく,式場の御神体となり,権威の偶像となって温室の裡に保護された.永き平和時代には上官の一言一句は何らの抵抗を受けず実現しても,一旦戦場となれば敵軍の意思は最後の段階迄実力を以て構想することになるのである.政治家が政権を争い,事業家が同業者と勝敗を競うような闘争的訓練は全然与えられていなかった.

このような組織に緊張を創造するためには,客観的環境を主観的に再構成あるいは演出するリーダーの洞察力,異質な情報・知識の交流,人の抜擢などによる権力構造の絶えざる均衡破壊などがカギとなる.

 また,極めて洗練された人事評価システムを持っていた旧日本海軍さえ学歴主義を否定することはできなかった.海軍兵学校の卒業席次は,兵学は全て理数系の実学であったため,理数科に強い学校秀才型の学生が有利だった.旧日本海軍にはハンモックナンバー主義と呼ばれる将校の序列・新旧制度があったが,これも成績万能の傾向が強く,大佐や将官クラスの上級指揮官の評価には必ずしも適さなかった.池田清は『海軍と日本』で,予測のつかない不足自体が発生した場合に,とっさの臨機応変の対応ができる人物は定型的知識の記憶に優れる学校秀才型からは生まれにくいと述べている.一方米海軍のニミッツ元帥が考案した昇進システムは,候補者を選び,その候補者とは関係のない人がその業績を評価,ある程度以上の能力を認められた場合は,ある階級以上の数名で議論して3/4以上の賛成で昇級させる.

 自律性を確保しつつ全体としての適応を図るために,自律性のある柔構造組織(ルース・カプリング型組織)を用意しなければならない.その特色は以下の通りである.

  1. それぞれの組織単位が自律性を持ち,自らの環境を細かく見て適応するので,小さな環境の変化に敏感に適応することができ,またそれが多様なルートで諸単位間に伝達されるので,相互作用が活発化し,全体として環境に敏感なシステムになる.
  2. 各組織単位は自律的に環境に適応していくので,適応の仕方に異質性,独自性を確保でき,どこかに創造的な解を生み出す可能性を持っている.
  3. 官僚制のようにタイトに連結された組織に比較して,組織単位間の相互の影響度が軽く自由度が高いので,予期しない環境変化に対する脆弱性が小さい.

軍事組織は,企業組織よりも剛構造のタイト・カプリング型組織になる.しかし,異質かつ多様な作戦を同時に展開するためには構成要素の主体的かつ自律的な適応を許すことが必須である.にもかかわらず,旧日本軍は現場の戦闘単位の自律性を制約し,参謀本部に極度の集権化を行っていた.一方米軍は必要な自律性を与える代わりに業績評価を明確にしていた.これに対して旧日本軍は結果よりもプロセスや動機を評価していた.

 自己革新組織は次のように記述されている.

組織が絶えず内部でゆらぎ続け,ゆらぎが内部で増幅され一定のクリティカル・ポイントを越えれば,システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍薄r.そのためには漸進的変化だけでは充分でなく,時には突然変異のような突発的な変化が必要である.したがって,進化は,創造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある.つまり自己革新組織は,絶えずシステム自体の限界を超えたところに到達しようと自己否定を行うのである.進化は創造的な者であって,単なる適応的なものではないのである.自己革新組織は,不断に現状の創造的破壊を行い,本質的にシステムをその物理的・精神的境界を越えたところに到達させる原理をうちに含んでいるのである.

日本軍はこの自己超越を過度の精神主義に求めた.行き過ぎた精神主義に基づく極限追及は,初めからそれができないことがわかっていたため,創造的破壊には至らなかった.

 イノベーションは異質な人,情報,偶然を取り込むところに始まる.これに対し官僚制とは,あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造であり,一部の権力者以外にイノベーションは実現できなかった.

 組織は進化するために,新しい情報を知識に組織化しなければならない.つまり,進化する組織とは学習する組織でなければならない.組織は環境との相互作用を通じて,生存に日宇町な知識を選択淘汰し,それらを蓄積する.旧日本軍には,個々の先頭から組織成員が得た事実や情報,失敗の蓄積・伝播を組織的にこなうリーダーシップもシステムも欠如していた.一方米軍は,ガダルカナルでの経験を基にその後の戦闘の成功と失敗の経験を累積的に学習していった.

 日本軍は個々の先頭結果を客観的に評価し,それらを次の先頭への知識として蓄積することが苦手だった.これに比べ,米軍は一連の作戦の展開から有用な新しい情報をよく組織化した.特に海兵隊は,水陸両用戦の知識を獲得していく過程で,個々の戦闘の結果,とりわけ失敗を次の作戦に必ず活かした.例えばタラワ作戦では日本側4800名の戦死に対し,海兵隊戦死1009名,戦傷2296名という大きな被害を出した.海兵隊はこの作戦から,以下のことを学んだ.

  1. 事前の砲爆撃の効果の確認
  2. リーフを乗り切る上陸用装甲車の必要性
  3. 着岸直前の近距離砲撃の必要性
  4. これを統制する水陸両用指揮官の必要性 

戦略的思考は日々のオープンな議論や体験の中で蓄積される.海兵隊は水陸両用作戦のドクトリンを海兵隊学校を中心に開発した.そのために一時授業をストップし,共感と学生が一体となって自由討議の中から水陸両用作戦のドクトリンを積み上げていった.このような戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身に着くのである.旧日本軍では日露戦争の幸運なる勝利についての真の情報は開示されず,その表面的な勝利が統帥綱領に集約され,戦略・戦術は暗記の世界になっていた.岡崎久彦は『戦略的思考とは何か』で「戦略が無ければ,情報軽視は必然の推移である」と述べていた.

 非常に長くなってしまったが,入社先で働く上で非常に有効だと思えたので,読んでいて目についた部分をほぼ全て引用してしまった.というより,この本を読んでいるに違いない…

岡崎久彦『戦略的思考とは何か』,中公新書,1983

 最近は様々なビジネス書で戦略という語を見かけるようになった.もちろんほとんど読んでいないのだが,ビジネス書,特に新書,はページ数の関係でどうしても内容の深みに関して今一歩という感想を抱き続けている.もちろんページ数や値段を考えると一定以上の質のものは多いが.

 本書はそんな戦略本とは全く異なる.ビジネスではなく,主にWWⅠ直前頃からの日本の国家戦略や軍事戦略をモデルとして,ケーススタディ形式で歴史的経緯や地政学的視点から戦略論を説いている.冒頭にあるように,左右関係なく客観的な評価がほとんどを占めており,戦略にとって最も大切なものを伝えている.かの林修先生の座右の書と聞いて手に取ったのだが,期待以上の名著であった.ぜひ手元に置いておきたい一冊である.戦史を扱っている関係で,どうしても右寄りの議論になりがちなのだが,事実をできる限り客観的に捉えているだけであることを予め断っておく.

戦略的思考とは何か (中公新書 (700))

戦略的思考とは何か (中公新書 (700))

 

 これまでいくつかビジネス書も読んできたのだが,それらの中には「日本人には戦略がない」という記述を含むものが一定数あった.本書でも,朝鮮出兵時に明のスパイが明の朝廷に対して「日本人は勇猛果敢だが何事にもよらず計画性がない」と報告したエピソードや,勇猛果敢な日本兵を無意味な戦略によって戦死させたエピソードが挙げられている.また,出典は忘れたが,日本の高度経済成長期における輸出攻勢によって車市場を日本製で占められてしまった米国が状況を打破するために日本を分析した際にも「驚くことに日本には戦略がない」とのコメントがあったそうだ.岡崎氏はこの理由を次のように語っている.

島国という恵まれた環境,世界にも稀な被侵略経験の乏しさ,それに由来する初心さが,外部の情報に対する無関心と,大きな意味での戦略的思考の欠如を生んでいる. 

侵略されるということは国家や民族の生死が握られると同義なので,当事者にとっては一大事である.そういう意味で侵略経験の有無によって生存への執念とノウハウの蓄積量に違いが出るのは当然だ.実際,情けない話だが,私も身の安全に疑念を抱いてからようやくやる気になったので,この主張には非常に同意する.

 では戦略的思考はどのようにあるべきなのだろうか.岡崎氏は次の4項目を提示している.

  1. 客観的であること
  2. 柔軟であること
  3. 専門家の尊重
  4. 歴史的ヴィジョンの保有

柔軟であるべきというのは,戦術のミスは戦略でカバーできるため,その場その場に応じて臨機応変にオペレーションを決定するということである.逆に,どんなに優秀なオペレーションを行っても,戦略が間違っていればそれは無駄になる.ゆえに,戦略が全てなのだ.リベラリズムが主流を占めているが,ハーバード大学にいたハンティントン氏は米国のリベラリズムに対していくつか問題点を指摘しているが,これらは米国に限らずに当てはまるので紹介したい.

  1. リベラリズムは国家権力に対して個人の自由を守ることに主眼があり,国際問題,特に国防,を考える上では不適切であること
  2. 国内的解決方法を国際問題に当てはめようとしていること
  3. リベラルは全てに公正客観的でなければならないので,全ての国際問題を国益を離れて他人事のように考える傾向の発言
  4. 相手も同じように人の好い考え方をしている保障がない点

特に4. は戦略を考える上で非常に重要で,生き延びるためにも私はリベラルであるよりも戦略的でありたい.

 印象に残っている文を以下に挙げていく.

弱者の群れはパワー・ポリティックスの上で意味を成さない.むしろ強者の怒りを買う.意味があるのは,弱者同盟と強者で契約を結ぶ場合だけだ. 

一つは防衛の問題というのは元々一朝有事のことであって,たとえ百年間戦争がなくても,自衛官が毎日訓練に励み,防衛関係者が万一の場合の戦略を考えるのは社会の機能分担として当然であり,また防衛体制というものは一朝一夕でできるものではないので,普段から十分な長期的戦略に基づいて大成を整えておくために国民の理解を得る努力をするのは必要なことと思います.

人間がいつかは生死のことを考えねばならないように,国家も,普段は日常の事務にかまけていても,最終ギリギリのところまで考えた基本的判断はいつも見失わないようにしている要がありましょう.それが戦略的思考というものだといえます.

情報というものは一度常識の線を失うと,どこまで堕ちていくかわからないものです.「ユダヤ人が結託して世界を征服しようとしている」などと耳元でささやかれると,これは重大な情報だ,と飛び上がったりします.こんなことは世界中の良質の情報にいつも接する環境にあれば,自ら,その,玉石,軽重の程度はわかるものです.

ただ一般論として,どんなデモクラシーの社会も,いざという場合の準備というものはしているのですから,日本も民主主義国であることと背反しない程度の有事立法を持つことは可能であり,必要ありましょう.むしろ自由社会としてごく常識的なことまでを軍国主義への第一歩などと言ってあまりに抑えすぎると「いざというときどうするんだ」という危機感が講じて,逆の極端に走る可能性もあると思います.

平和時で,みんなが時間をかけて考える余裕のあるときに1つ1つ決めておいた方が,いざという場合,極端に走ることをあらかじめ制し,デモクラシーの復元力を確保しておくためにも重要なことと思います.

孫子『「負けない」ということは戦略の基本です.まず負けない体制を作って,敵が勝たせてくれるのを待つ.自分にできることは負けないということで,勝てるチャンスは敵が作ってくれる.』

攻撃能力のない国というのは,同盟国としての価値は著しく制限されます.

 ビジネス書よりも遥かに効率的に戦略を学べる一冊だ.戦略を学びたい人は手に取ってみて欲しい.