備忘録

勉強や読書の記録

池谷裕二『記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』,講談社,2001

 既に大学院は修了したのだが,大学付近まで行く予定があるので,短い間に読み切れそうなものを大学図書館で探していたところ,なかなかものを覚えられない私にピッタリの本があったので読んでみた.ちなみに著者は「歳のせいで記憶力が落ちて…」「物忘れがひどい」などと嘆く人に対して,以下の非常に手厳しいコメントをしている.

この嘆きはたいへんな間違いで,私から見れば,そういう人は単なる努力不足であるように思います.そしてまた,昔自分がものを覚えるために,どれほど努力したのかを忘れているのです.勉強がその生活の大半を占める学生時代でも,ひとつのものごとを習得するのに,かなりの時間と労力を必要としたはずです.こうして苦労した経験を忘れ,ただただ老化を嘆くのはとても愚かな行為です.

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

 記憶は短期記憶と長期記憶に分けられる.長期記憶はエピソード記憶意味記憶(知識),手続き記憶(身体で覚える記憶),プライミング記憶(先入観のようなもの,思い込み)に分けられる.本書によると,短期記憶とエピソード記憶は自身の意思で思い出すことができるが,意味記憶に関してはきっかけがないと思い出せないので,エピソード記憶の形にして記憶することが大事だと言う.

 とは言え,記憶が得意でない人も少なくないだろう.そういう人のために,本書では記憶の3箇条を示している.

  1. 何度も失敗を繰り返して覚えるべし
  2. きちんと手順を踏んで覚えるべし
  3. まずは大きく捉えるべし

この3箇条は,記憶を司る海馬(我々が認識した情報を側頭葉を通して歯状回、CA1~4野を経て再度側頭葉に出力する)について,執筆時点で明らかになっている,もしくは妥当性の高い説に基づいて提案されている.また,エビングハウス忘却曲線に基づいて『1週間後に1回目,その2週間後に2回目,最後の復習から1ヶ月後に復習』すると良いとも言っている.そして,記憶の際には『その事象の法則性も同時に理解する』(単なる意味記憶より長く覚えられる上に,意味記憶と比べると自身の意思でアクセスできるので)ことも勧めている.

 ところで,そもそも脳はどのようにして記憶するのか.脳には多くの神経細胞が含まれており,神経細胞が持つ軸索と樹状突起が組み合わさって神経回路を形成している.この回路中に含まれる神経細胞と神経繊維の組み合わせを用いて我々は記憶しているらしい.

 記憶しているか否かは,側頭葉の神経回路に対して検索を行い,ヒットすれば記憶できているということになる.とすると,いかにしてこのネットワークを構築するかが重要になる.考えられるのは,(1) 神経細胞の数を増やす,(2) 神経繊維を増やし新たなネットワークを築く,の2通り.前者については,海馬を構成する歯状回,CA1~4野のうち,歯状回の神経細胞は,神経細胞が死滅するスピードを上回るスピードで増やせることが分かっている.後者については,神経細胞の活動を整理する.軸索には活動電位が伝えられるが,神経繊維の基本成分が脂肪,タンパク質,炭水化物であるために導体としては不適切である.そこで,神経繊維には周辺のナトリウムイオンを神経繊維に通すことで活動電位を流すチャネルと呼ばれる穴が無数に存在している.軸索と樹状突起とその間のシナプス間隙と呼ばれる僅かな隙間をまとめてシナプスと呼んでいる.連続していないため,軸索の終端に達したら先端についているシナプス小胞に含まれる神経伝達物質グルタミン酸アセチルコリンなど)を放出し,それを樹状突起の先端で受け止め,その刺激に応じた活動電位を神経細胞に伝える.もしここで十分な電位が神経細胞に伝わったら神経が興奮する.頻繁に神経細胞を興奮させると細胞は重要な回路だと認識し,神経回路は維持される.逆に興奮しない状態が続けば,不要な回路と見なし削除する.

 ここで問題は,いかにして神経細胞を興奮させるだ電位を樹状突起に生じさせるかに変わる.樹状突起には神経伝達物質を受け取るためにAMPA受容体とNMDA受容体の2つの受容体が存在しているが、後者は鈍いため,通常使われるのは前者だけである.後者は多くのグルタミン酸で刺激すると開くが,この際NMDA受容体には,ナトリウムイオンだけでなくカルシウムイオンが流れ込む.これにより,樹状突起内に潜むAMPA受容体が飛び出し,多くのナトリウムイオンを受け取ることが可能になり,結果としてより強い刺激を細胞に与えることになる(LTPと呼ばれる).

 久々にブルーバックス読んだけど,さすがという感想.結論としては,記憶しやすいように問題を分解して一番簡単なところから何度も何度も繰り返し刺激することで該当する神経細胞に刺激を与える.その際に興味を持って取り組むことで効率的に覚えられるよ,という話でした.

ポール・キンステッド『チーズと文明』,築地書館,2013

 タイトルに惹かれて手に取ってみたところ,著者はヴァーモント大学の植物栄養学部の教授らしく,リファレンス17ページ+索引付きということで,そこそこに信用できそうなので読んでみた.自分の生活に活かすという目的ではなく,完全に娯楽目的.本書はチーズの歴史を辿りながら,チーズが西洋史に及ぼした影響を考察している.前半部分(第1章~第4章)ではBC9500~頃からAC500頃までを,後半部分ではそれ以降を扱っている.

チーズと文明

チーズと文明

 

 コンテンツとしては非常に面白い.戦争の勝利によって獲得・征服した土地の住人を奴隷として扱い,珍品・高級品として利益を生み出せるチーズの製造に従事させていたらしい.このように歴史を辿るだけでなく,チーズの作り方についての記述も多くある.読みながらそういった記述に出会う度に,製造方法自体よりも,なぜそうなるのかが気になってしまい,こういう本もたまにはいいが,ブルーバックスとか読んだ方が満足できそうだなーと思いながら読み切った.

 歴史が好きで,かつ,チーズにも興味があるという人は読んでみると楽しめると思う.

ローラ・ウィットワース他『コーチング・バイブル―人と組織の本領発揮を支援する協働的コミュニケーション』,東洋経済新報社,2008

 外資企業を中心にコーチングと呼ばれる手法が導入されているが,入社先でもコーチングが行われているので,その予習も兼ねて.図書館にあったのが第二版だけだったのだが,この本の記述を読む限りは第一版と大体同じ内容のようで安心して読んでいた.が,調べてみると,第3版も出ているようだ. 

コーチング・バイブル―人と組織の本領発揮を支援する協働的コミュニケーション (BEST SOLUTION)

コーチング・バイブル―人と組織の本領発揮を支援する協働的コミュニケーション (BEST SOLUTION)

 

 本書はコーチングにおける関係と対話の特徴について記述しているが,そもそもコーチングとは何なのか.実際には,クライアントに依頼された場合や組織の管理下での実行などコーチングの環境下によるが,本書によると,コーチングの核心は『発見と気付きと選択をもたらす』ことにあるという.また本書で扱われるコーアクティブ・コーチングにおけるコーチとクライアントの関係は,クライアントのニーズを満たすことが唯一最大の目的として結ばれた,クライアントが自ら望む人生を創り出すのに必要なエネルギーを充電する場のような,対等なパートナーシップである.コーチングは,(1) クライアントは自ら答えを見つける力を持っている,(2) クライアントの人生全体を取り扱う,(3) 主題はクライアントから,(4) クライアントと共にその瞬間瞬間から創り出す,の4つの前提を踏まえた上で行われる.その他にも,相手に対する敬意や思いやり,率直さ,(コーチは)あくまで真実だけを口にしなければならないというルールがある.これらに基づいて,クライアントの惹きつけられるものを明らかにして(やるのとやらされるのでは雲泥の差があると某十則にも書いてある),生きる力を奪うような古い習慣を改め,クライアントの人生の中に新しい行動習慣を定着するのを支援する.

 前提 (1) に関しては,クライアントは人間としておかしい存在ではないため,「治す」必要がまったくない.つまり,コーチが答えを与えるのではなく,クライアントが答えを発見できるよう誘導する,と言い換えられる.(3) に関しては,クライアントが持ってきた暗示的な主題(自らの夢や願望)を明確化し,それらに沿った目標や成果を得られるように「支援」するのがコーチの役割だと述べている.

 ここでいうクライアントの主題は,クライアントの人生全体にフォーカスした「大きな主題」と,毎回のコーチング・セッションでクライアントが持ってくる「小さな主題」の2つに分けられる.コーチは「小さな主題」の解決を支援しながら,「大きな主題」に向かって誘導しなければならない.

 「大きな主題」は,人生のあらゆる局面における意思決定と関わっている.この意思決定は,フルフィルメント(より充実した人生を送るか否か),バランス(よりバランスのとれた人生に向かうか否か),プロセス(人生というプロセスをより深く味わうか否か)の3つの指針に影響を受けているそうだ.それぞれの指針に関するコーチの役割を述べる.フルフィルメントは,クライアントの価値観に沿った選択をして自身の心や精神を満たすこと.バランスについては,ジョフ・コルヴァン『究極の鍛錬 - Talent is Overrated』,サンマーク出版,2010 - 備忘録でも紹介した通り,人生においてはある部分を伸ばすために他の要素を捨ててしまうことがある.その際に他の部分に気が回らなくなってしまい,その「他の部分」について積み上げてみたものが崩れてしまう.クライアントの視点の幅を広げることで,取りうる選択肢を増やすのが,バランス.プロセスは,何が起きているのか気付き,それをクライアントに伝える.たとえどんな状況にあろうと,常にそばで支え励まし,難局を共に切り抜けて喜び合う.

 コーアクティブ・コーチングでは,各指針にフォーカスしてコーチングすることもある.そもそもコーチングの目的は,クライアントがより良い人生を実現できるように支援することだ.しかし,そのためには現時点での価値観とは真逆の方向に歩んでいくこともある.そういった作業はとてもつらいものだ.フルフィルメント・コーチングでは,クライアントがつねに自分なりの充実感を追求し続けるよう強く促す,つまり,クライアントに自分で「充実した状態を今日実現するにはどうすれば良いか」を考えてもらう.

 バランス・コーチングの目的は,滞っていたクライアントの人生の流れを元に戻し,クライアント自身が人生の主導権を取り戻すために,目の前の課題について必要な行動が起こせるように支援すること.具体的には,(1) 有りうる視点を列挙する,(2) 挙げられた視点からある視点を選択し,それを通して自身に選択力があることを自覚してもらう,(3) 選択した視点であり得る行動を列挙してから絞り込み,行動を計画する,(4) 計画した行動をやり切る決意を固めてもらう,(5) 実行してもらい,進捗確認とフィードバックを行う,の5ステップから成る.(3) の計画の際には「OOPS; あまりに(Overly)楽観的な(Optimistic)計画(Planning)症候群(Syndrom)」にならないように,実行可能な計画を作成しなければならない.

 プロセス・コーチングでは,内的な変化を体験すると同時に全く新しい自分に気づいてもらうのが目的.プロセス・コーチングも,(1) クライアントの「心のうねり」を聴き取り,それを言葉にする,(2) クライアントとそれを探求する,(3) クライアントがそれを深く経験する,(4) クライアントのエネルギーに変化が起きる,(5) 新たな動きが起きる,の5ステップから成る.「心のうねり」,つまり,ちょっとした違和感を聴き取るためにレベル2以上で傾聴していなければならない.また,(3) では,失意の経験をただ言葉にしているのか,それを追体験しているのかを見極めなければならない.なぜなら,追体験している方がクライアントにより多くの学びをもたらすから.

 前述した3つの指針はクライアントに関するものだったが,コーチには,(1) 傾聴,(2) 直感,(3) 好奇心,(4) 行動と学習,(5) 自己管理,の5つの資質が要求される.

 まずは(1) 傾聴について.本書によると,傾聴には3つのレベルの傾聴がある.レベル1の傾聴では,クライアントの発言を受けた上での自分の考えや気持ち,意見・判断など自分自身に意識が向いている.レベル2では,声色や表情など,クライアントから読み取れるあらゆることに意識が向かっている状態を指している.このレベルでは,コーチは常に,自分の聴き方がクライアントにどのように影響を与えているかを認識する必要がある.これは,監視のように意識的に行うのではなく,ただ相手に与えている影響に気づいているという無意識的な状態で行わなければならない.レベル3では,肌で感じるものや感情的なものなど,クライアントの言動以外の全てのことも認識する.これは「環境的傾聴」とも言うそうで,レベル3の傾聴を習得している人の例として熟練した漫才師や研修の講師などを挙げている.もちろんコーチも人間なので,次に何をすべきか考えてしまうなど,レベル1の状態に戻ってしまうことも考えられる.これはしょうがないので,なるべく早く気づいてレベル2以上の状態に戻す必要がある.やり方としては,本書では,「今気が逸れてて聞き逃してしまいました.もう一度話していただけますか?」という風に,素直に謝れ,とある.自分の過ちを認めて謝るの大事だよね…

 直感については,個人的にはあまり信用していないが,コーチングにおいては有益なものになるという.なぜなら,それが正しいかどうかではなく,それがクライアントの行動を前に進め,学びを深めることに繋がったかどうかで評価されるから.クライアントの進歩に貢献できる可能性があるなら,どんなバカバカしい思いつきでも構わないということになる.

 好奇心は何を表しているのだろうか?この質問を受けて「何だろう?」と考えてしまった人もいるかもしれないが,このように,質問を投げかけることで簡単に意識の方向を換えることができる.質問する際は,クローズドクエスチョンを避け,尋問調にならないようにする必要がある(悪気はないのだが,よくやってしまう…).加えて,質問によってクライアントの意識が向かう方向を自覚しながらも,クライアントがどこに向かおうとそれに拘ってはいけない.

 あらゆるコーチング・スキルはクライアントの行動を進め,学習を深めるためにある.クライアントは「行動」「学習」を,コーチは「進める」「深める」ことに重点を置く.そして,よく言われているように,クライアントがその経験から学んだ内容に着目しなければならない.行動の結果,失敗することもあるが,それはクライアントがそれだけの有機と決意を持ってリスクを取ったということである.したがって,その行動を称えなければならない.ぬるぽ吐いたら「最高だね!!!」と言えるようにならなくては.行動を進め,学習を深めるためのスキルとして「目標設定のスキル」がある.本書では,良い目標は具体的かつ測定可能で,その結果を何らかの形で記録し,評価することができる特徴を持つ,とある.

 自己管理では会話の誘導句が紹介されているので印象に残った部分はほぼなかった.唯一記憶に残っているのは,例えばクライアントとの会話で自分の専門分野を扱っている場合に,「コーチとしての意見」と「専門家としてのアドバイス」を明確に区別しなければならないという話.もちろんクライアントにとって有益だと思うならば,「専門家としての見解だが」など許可を取ってから話せば良い.

 コーチングを行う上で重要なスキルがいくつかある.まずは「俯瞰のスキル」について.これは,クライアントは近視眼的に物事を捉えがちなので,大局的な視点を提示しろということ.次に,「反映のスキル」について.クライアントは往々にして目の前の問題を近視眼的に捉えてしまい全体像が見えなくなることが少なくないが,その際,コーチは自分の観察したことを評価や判断を交えずにそのまま包み隠さず伝えなければならない.伝える内容に関しては,それが正しいかどうかは問題ではなく,クライアントがその指摘を受け入れられるような状況にあるかを意識しなければならない.「明確化のスキル」について.これは字面の通りで,クライアントの発言をよりシンプルな言葉に置き換える技術を指す.最後に,「認知のスキル」について.これは,コーチングによってクライアントが成長しつつある部分,強くなりつつある部分を認識する.コーチングが扱う主題は「大きな主題」に沿っているので,人生における価値観のような部分になる.したがって,クライアントの人となりを認める技術ということになる.

 コーチングを受けたクライアントは,コーチによって自身の内なる価値観と向き合い,次なる行動を見つけ,その行動から学びを引き出した経験に基づいて,最終的には自身がコーチとなり,一人でコーチングを進められる状態になるのが理想.自分がコーチングを受ける上で最も課題になるのは,感情の起伏が激しくない点になりそう.最後に,少し長いが,ある段落を引用する.

クライアントによっては,子供の頃からずっと「謙虚であれ」とか「目立ってはいけない」と教えられてきたために,自分を誇りに思うことを無意識のうちに避け,他人から認められたり,自分が成し遂げたことの意味合いを見つめたりする機会を失っている場合もあります.もしくは,単純に幸せを感じることを恐れていたり,喜びを人前で表現するなんて不必要だし不謹慎なことだ,と思い込んだりしているクライアントもいるかもしれません.そんな時,コーチであるあなたの役割は,クライアントが本来人生で味わえるはずなのに十分に味わい切っていない領域はどこから耳を澄ませることです.クライアントの人生を音楽に例えるならば,本来そこには豊かで幅広い音域があるはずです.にもかかわらず,もしもクライアントが高音や低音に蓋をしてしまったら,限られた狭い音域でしか演奏できなくなってしまいます.そして,いつしかクライアントが奏でる人生の音楽は変化に乏しく,単調で退屈なものになってしまうことでしょう. 

マーク・カーランスキー『「塩」の世界史』,扶桑社,2005

 我々の生活に欠かせない塩に関する歴史書.扱っているもの自体は非常に良いのだが,構成が悪い.どういう意図でそれを書いているのか全くわからない.塩に関する何かがダラダラと続いており,体系的な知識を得るには,本の内容を0から再構築するくらいの労力が必要.ただ単に自分に世界史の知識がほぼないからつらいだけで,あればもっと楽に読めるのかもしれない.いずれにせよ,卒業間際の時間がない中でそこまでできる気がしなかったので,第一部で挫折してしまった.が,読んだ部分で印象に残っている部分だけでも記述しておく.知識を得るための本に見えるので,時間がある時に読んでみたい.

「塩」の世界史―歴史を動かした、小さな粒

「塩」の世界史―歴史を動かした、小さな粒

 

 聖書にまで塩に関する記述があることから,塩が人間にとって欠かせないものであることがわかる.

古代ヘブライ人にとっても現代ユダヤ人にとっても,塩とは神とイスラエルの契約の永遠性の象徴である.ユダヤ教教典トーラ,及び(旧約)聖書の民数記にも,「神の前における永遠の塩の契約」とあり,歴代誌には「イスラエルの神,主が,塩の契約を以て,イスラエルを治める王権をとこしえにダビデとその子孫たちに授けられた」と記されている. 

 この必要不可欠な塩は,政治にも利用された.塩と鉄に経済の基盤を置いたケルト人は,重い商品を運ぶための水路を求め,川を利用して,西はフランス,南はスペイン北部,北はベルギーまで侵攻した.このベルギーという名はケルトの部族名「ベルガエ」に由来しているそうだ.ケルトを征服したローマは,ケルト人が発明した塩鉱,鉄,農業,貿易,騎馬などを取り込み,豊かな帝国を築いた.また,ヴェネツィアは塩の交易を規制して利益を得た.ヴェネツィアは経済の基盤を塩に頼っていたが,この政策を導入した理由は,マルコ・ポーロで有名なポーロ家の影響を受けていたからだ.マルコ・ポーロシルクロードを通って訪れた中国は,紀元前250年から,塩を独占するなどの政策を採用していた.また1066年には,硝石として知られる塩の一種,硝酸カリウムと硫黄,炭素を混ぜ合わせた火粉への着火による爆発を用いて銃を開発していた.

 本書の中では塩を用いた調理に関する記述が頻繁に登場する.第一部では発酵や腐敗に関する内容があるが,塩による防腐効果はどのように機能しているのかが気になり,化学をやり直す必要性を感じられたのは一つの収穫だった.

サミュエル・スマイルズ『自助論』,三笠書房,2002

 本書は,明治時代にかの『学問のすゝめ』とともに明治の青年の向上心を燃え上がらせた名著である.

スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

 

 まず,第一章『自助の精神―人生は自分の手でしか開けない!』で印象深い文を引用する.

外部からの援助は人間を弱くする.自分で自分を助けようとする精神こそ,その人間をいつまでも励まし元気づける.人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても,相手はかえって自立の気持ちを失い,その必要性をも忘れるだろう.保護や抑制も度が過ぎると,役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである.  

たとえば,歴史上の大きな戦役で名を残すのは将軍だけだ.しかし実際には,無数の一兵卒の勇気溢れた英雄的な行動なしに勝利は勝ち取れなかったはずだ.人生もまた戦いに他ならない. そこでも無名の兵士が実に偉大な働きをしてきた.伝記に名を残した幸運な偉人と同じように,歴史から忘れ去られた多くの人物が文明と社会の進歩に多大な影響を与えている.

人間は読書ではなく労働によって自己を完成させる.つまり,人間を向上させるのは文学ではなく生活であり,学問ではなく行動であり,そして伝記ではなくその人の人間性なのである. 

フランシス・ベーコンは次のように語っている.「人は,自らの富も自らの能力も正しく理解していない.富については必要以上に素晴らしいものだと信じる反面,人間の能力はさほど偉大なものだと思っていない.自らの富を否定し,自らの力のみを信頼できる人間だけが,自分の水桶から水を飲み,自分のパンを食べる方法を学ぶ.つまり,生計を立てる道を習い,自分が善だと思うことを他人にも実践していけるようになるのだ.」 

 次に,第二章『忍耐―雨霜に打たれてこそ若芽は強く伸びる!』から引用.

どんなに高尚な分野の学問を追及する際にも,常識や集中力,勤勉,忍耐のような平凡な資質が一番役に立つ.そこには天賦の才など必要とされないかもしれない.たとえ天才であろうと,このような当たり前の資質を決して軽んじたりはしない.

作物を刈り取るには,まず種を蒔かなくてはならない.その後は,収穫の時期がくるのを忍耐強く待ち続ける必要がある.そして多くの場合,いちばん待ち望まれる果実ほど実を結ぶのは一番遅い.だから,一刻も早く成果を得ようなどと焦ってはダメだ.東洋のことわざにあるように「時間と忍耐は桑の葉をシュス(サテン)に変える」ものなのだ.

ビュフォンは,芯から仕事の無視であり,どんなことでも段取りを整えてテキパキとこなさなければ気が済まなかった.「秩序立てて仕事をすることを知らない人間は,いかに天賦の才に恵まれて異様と,その才能の四分の三は浪費しているも同然だ」と,彼はつねづね話している.

 次に第三章『好機,再び来らず―人生の転機を見抜く才覚,生かす才覚』から.

観察力の優劣は,人間に大きな差をつける.ロシアのことわざにあるように,注意力の散漫な人間は「森を歩いても薪を見つけられない」のである.古代イスラエルの賢王ソロモンは「賢者の目は頭の中にあり,愚者は暗闇を歩く」と語っている. 

チャンスを捉え,偶然を何かの目的に利用していくところに成功の大きな秘密が隠されている.ジョンソンは,天才的な力のことを「広い分野を包み込む大きな精神が,偶然ある特定の方向へ向けられたものである」と定義した.独力で活路を切り拓こうとする人間には,それにふさわしい好機が必ず与えられる.手近にチャンスがなくとも,彼らはそれを自力で生み出していくのだ. 

何度も繰り返すように,我々を助けるのは偶然の力ではなく,確固とした目標に向かって粘り強く勤勉に歩んでいこうとする姿勢なのだ.意志薄弱で怠惰な人間,目的もなくぶらぶらしている人間には,どんな幸運も意味を持たない.彼らは,目の前をまたとない チャンスが通り過ぎても,その意味も分からずぼんやり見逃すだけだ.

名医ジョン・ハンターも,記憶力の弱さをメモで補っていたし,折に触れてメモの効用を説いていた.彼はこう語っている.「考えたことや見聞きしたことを書き留めるのは,商人が棚卸をするのと同じだ.それをしないと,自分の店に何が置かれていて何が足りないのか,さっぱりわからないじゃないか.」 

 第4章『仕事―向上意欲の前にカベはない!』より.

芸術家の偉大な作品を見ても,そこに忍耐強い努力と長年の修行の跡を感じ取れる人間は少ない.確かにそれらの作品は,いとも簡単にごく短い期間で作られたように見える.だがその陰には,想像を絶するほどの作者の苦しみが横たわっているのだ. 

ラックスマン少年は,芸術家に相応しい資質を備えていた―すなわち,勤勉と忍耐とを.彼はめげることなく読書を続け,絵や彫像の政策に励んだ.彼の初期の作品のいくつかは現在も保存されているが,それは作品が素晴らしいからではなく,一天才の当時の粘り強い努力の跡がそこにいかんなく表現されているためだ.彼がひとり立ちできるまでには長い時間がかかった.しかも初めは,松葉杖頼りのヨチヨチ歩きだった.だがしまいには,杖の助けを借りずに歩けるほど彼はたくましく成長するのである.

画家レーノルズ「諸君が天性の才能に恵まれているなら,勤勉がそれをさらに高めるだろう.もし恵まれていないとしても,勤勉がそれに取って変わるだろう.」 

  第5章『意志と活力―自分の使命に燃えて生きる!』より.

どんな分野であれ,成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ.あくまで精一杯努力しようとする意志の力だ.この意味で,活力とは人間の性格の中心をなす力であり,つまるところ人間それ自身であるともいえよう. 

勤勉という習慣も,他の習慣と同じように時がたつにつれて楽に身に付いてくる.だから,平凡な能力しかなくとも一度に一つのことのみに集中してやり通せば,大きな成果が上がるはずだ. 

真に価値ある目標は,勇猛果敢に取り組まなければ成就できるものではない.人間の成長はひとえに,困難と闘おうとする意志の力,すなわち努力いかんにかかっている.一見不可能と思えることの多くが,努力によって可能となるのを見るにつけ,われわれは大きな驚きを禁じ得ない. 

  第6章『時間の知恵―「実務能力」のない者に成功者なし』より.

ベーコンはしばしば,ビジネスを道に例えてこう語った.「最短の近道はたいていの場合,一番悪い道だ.だから最善の道を通りたければ,多少たりとも回り道をしなくてはならない.」

詩人ムーアがジョン・ラッセルを仲介人にして,メルボーンに自分の息子への援助を願い出た時の話.「親愛なるジョンへ.ムーア氏からの手紙はお返ししよう.人助けするくらいの視力はあるのだから,私としても君の願いを叶えるにやぶさかではない.だが援助するというのなら,ムーア氏自身に対してのほうが筋が通っている,と私は思うのだ.彼の息子のような若者にわずかばかりの援助を与えるというのは,どう考えても正しいやり方ではない.むしろ,当の若者に誤った考えさえ抱かせてしまうだろう.実際よりも多くの者を持っていると思い込めば,若者は決まって努力をしなくなる. だから彼らには,こう助言しておけば十分だ.“自分の道は自分で切り拓け.飢えようと飢えまいと,全ては自分自身の努力にかかっている”―私の言うことを信じてくれたまえ……」

一般的にいって,あまりに平板で順調な人生は人間をダメにする.身辺に何一つ不自由なく寝食にも困らないような暮らしより,必要に迫られて一生懸命働き,質素な生活を送る方がむしろ好ましい.かなり苦しい境遇から人生が始まれば,それだけ労働意欲はかき立てられる.その意味で,貧困は人生における成功の必須条件の一つともいえる. 

いつも自分の不幸を嘆いている連中の多くは,自らの怠惰や不始末,無分別,そして努力不足のしっぺ返しを受けているに過ぎない.  

どんなビジネスにも,それを効率よく運営するのに欠かせない原則が六つある.それは,注意力,勤勉,正確さ,手際の良さ,時間厳守,そして迅速さである. 

聖職者のリチャード・セシルは「手際の良さとは,箱に物を詰める仕事に似ている.荷造り上手は,下手な人間の二倍近くも多くの荷物を入れられる」と述べた.セシルは,仕事をてきぱきこなすことにかけては非凡な才能を発揮した.「多くの仕事を処理する一番の近道は,一度に一つしか仕事をしないことだ」と彼は言う. 

ビジネスほど,人柄の善し悪しがきびしく問われる分野はない.そこでは,正直かどうか,自己犠牲の精神にあふれているかどうか,公正かつ誠実に行動できるかどうか,などが厳格なふるいにかけられる. 

  第7章『金の知恵―楽をするには汗をかけ!』より.

政治家ジョン・ブライトも,1847年にロッジデールの勤労者集会で同じような忠告を与えている.「いまの生活が快適ならそれを維持し,あまりよくなければ改善していくべきだが,それには確実な方法が一つだけある.勤勉,倹約,節制そして誠実という美徳を実践することだ.不自由に縛られた不満だらけの生活から抜け出すには,この四つの美徳を実行する以外に近道はない.しかも多くの人間が,実際にそうやって暮らしを向上させ成功を掴んでいるのだ.」 

 将来に目を向けて生きるには,失業,病気,死という不慮の際や句への備えを怠ってはならない.このうち最初の二つは避けられもするが,氏だけは人間の力ではどうにもならない.だが思慮深い人間なら,突然どんな災難が降りかかろうとも,苦しみをできるだけ緩和できるよう,また自分を頼って暮らす人にも影響が及ばないよう,予め備えを万全にして生活するだろう. 

 この点から見て一番大切なのは,正直な手段で金を得て,それを倹約しながら使うことである.正直に金を稼ぐとは,誘惑に負けず努力と勤勉で望みを果すことに他ならない.金を倹約して使うというのは,すぐれた人格者の基礎となる資質―すなわち分別や先見性や克己心を備えている証拠だ.

人生の若い時期に得た週間は,悪に対する真の防波堤となる.なぜなら,人間が品行方正になるのは習慣を通じてであり,モラルが損なわれないよう守ってくれるのもまた週間の力なのだ.良い習慣が日常生活のすみずみにまで行き渡れば,その人間のふるまいは一段と立派なものに変わっていくに違いない.

  第8章『自己修養―最高の知的素養は一日の仕事から生まれる!』より.

ウォルター・スコット「最良の教育とは,人が自分自身に与える教育である」 

イグナチウス・ロヨラの格言の一つに,「一度に一つの仕事しかしない人間のほうが,むしろ誰よりも多くの仕事をする」というのがある.あれこれの分野に手を広げ過ぎると,かえって集中力を欠き,進歩も遅れ,うだつの上がらない仕事をする癖が身についてしまう. 

サミュエル・ジョンソンは「自分の力に自信を持っていたからこそ成功できたのだ」と常々語っていた.自信を持ちすぎると謙虚さが失われるのではないか,と思われるかもしれないが,実際はそうではない.真の謙虚さとは自分の長所を正当に評価することであり,長所をすべて否定することとは違う. 

興味本位の知識修得法を身に付けると,若者はじきに勉強や努力からそっぽを向くようになる.ふざけ半分に知識を得ているうちに,今度は知識をふざけ半分に弄び始める. 知性は次第に雲散霧消し,時がたつにつれ精神も性格も骨抜きにされていく.

単なる知識の所有は,知恵や理解力の体得とはまったくの別物だ.知恵や理解力は,読書よりもはるかに高度な訓練を通じてのみ得られる.一方,読書から知識を吸収するのは,他人の思想を鵜呑みにするようなもので,自分の考えを積極的に発展させようとする姿勢とは大違いだ. 

もう一つ忘れてはならないのは,本からいくら貴重な経験を学んだとしても,しょせんは学問の域を出ないという点だ.それに反して,現実生活から得た経験は真の知恵となる.わずかな知恵でさえ,膨大な量の耳学問よりはるかに値打ちが高い. 

真の教育の目的とは,他人の思想や考えを鵜呑みにしたり頭に詰め込んだりすることではない.大切なのは知力を高め,有意義な人生を送れるよう勤めることだ.そこでは知識の量より知識を得る目的の方が遥かに重要な問題である.我々は知恵を発達させ,人格を高め,より豊がで幸福で価値ある人生を送るために学ぶべきだ.知識は,人生の高い目的をより有効に追及するための活力源でなくてはならない. 

「ある少年と他の少年との差は,才能よりむしろ活動力の優劣によって決まる」とアーノルドは指摘したが,これは大人にも当てはまる.粘り強さや活力は,最初は他人から与えられたとしても,次第に本人の習慣として身についていく.コツコツ努力する劣等生は,必ずやあきっぽい優等生を追い抜くだろう.遅くとも着実に歩むものが,競争では最後に勝つのだ. 

  この手の本はほとんど同じ内容が書かれている.「人を動かす」の方が,心動かされるメッセージが多かったので,これを読もうと思う人には「人を動かす」を勧めたい.

橋本素子『日本茶の歴史』,淡交社,2016

 静岡と言えば日本茶.個人的に日本茶が大好きで,高級なお茶も結構飲んでいるのだが,日本茶の歴史を全く知らないので,学会参加の際に静岡を通過している間に読んでみた.内容自体は,一次史料も確認しているようなので,信頼できるとは思う.が,論文の雰囲気に近いので,単に趣味や娯楽のために読むには少しハードルが高いかもしれない.

日本茶の歴史 (茶道教養講座)

日本茶の歴史 (茶道教養講座)

 

 茶は,酸化発酵度(酸化発酵ではなく,酸化酵素の活性度)によって,(1) 不発酵茶(酸化発酵度0%,摘んですぐに熱を加えて酸化酵素の活性を止めた茶),(2) 発酵茶(酸化発酵度100%,摘んでよく揉む等して傷口を作り,十分に酸化酵素の活性を促した茶),(3) 半発酵茶(酸化発酵度1~99%の全て),の3種類に分けられるそうだ.このうち日本茶は (1) に属し,(2) の代表的なものは紅茶,(3) の代表的なものは烏龍茶,だそうだ.

 緑茶は種類によって作り方が異なる.露地茶園で摘まれる茶は煎茶用に,覆下茶園や直掛け茶園などの被覆茶園で摘まれる茶は玉露や抹茶の原料である碾茶用になる.葉に日を当てることで何が変わるかというと,根の部分で生成される,茶だけが作れる旨味成分テアニンが渋み成分カテキンに変化する.

 抹茶は戦国時代の宇治で,煎茶は江戸時代中期の宇治田原で,玉露は江戸時代末期の宇治もしくは宇治田原で発明されたことが明らかになっている.しかし,日本茶はいつから存在するのだろうか.日本茶は,茶木が自生可能な地域で茶木が確認されていないために,中国から伝来したものと考えられている.では,いつ渡来したのか.本書によると,中国から,(1) 平安時代前期(西暦800年代の初め)に唐から茶を煮出して飲む『煎茶法』,(2) 鎌倉時代初期(1100年代末期)に宋から抹茶に湯を注ぎ飲む『点茶法』,(3) 江戸時代前期(1600年代後半)に明から葉茶に湯を浸してそのエキスを飲む『淹茶(えんちゃ)法』,の計3回の伝来があったそうだ.

 しかし,中国の喫茶文化をそのまま受け入れたわけではない.本書では,中国から伝えられた喫茶文化が,日本固有の茶への変遷を辿っていく.

 既に述べたように,日本最古の日本茶平安時代には確認できているが,鎌倉時代前期までは一般に広まっていなかった.鎌倉時代中期には寺院を中心に茶の生産が行われ,後期には庶民も茶の生産を行えるようになっていた.現在はお茶を作る際に複数の茶葉のブレンドを行うが,この工程は室町時代には確認できている.また,筆者は,この時代には庶民も抹茶を飲むことができたと考えている.戦国時代末期では,それまで宇治茶と肩を並べていたトップブランドである栂尾茶は跡目争いが起きたことをきっかけに衰退するが,茶のブランド争いは依然として熾烈なものだった.この競争に勝ち抜くために,戦国〜安土桃山時代の宇治では茶の栽培方法から経営に至るまでの大改革の結果として,宇治茶は茶のトップブランドとしての地位を確立した.江戸時代前期に入ると,『淹茶法』が伝えられた.また,明から「唐茶」が伝えられたことで,茶葉を揉む工程が取り入れられた結果,煎茶が発明された.江戸時代後半には玉露も発明されたが,その起源は明らかになっていない.明治時代には,茶は茶農家,仲買人,産地問屋,日本人売込問屋,外国商館を経てアメリカに輸出されていたが,明治時代後半になるとインドのセイロン紅茶の猛攻によりシェアを奪われた.また,同時期から茶の品質改善のために品種選抜が行われていた.WWⅡ以前は在来茶園からの優良品種の選抜が中心だったが,1960年代に挿し木技術が確立されると,人工的な交配による品種開発が行われるようになった.

 意外だったのは,明治時代に日本茶がアメリカへ輸出されていたという点.その時期のアメリカでは緑茶よりもコーヒーや紅茶が好まれていると思っていたので,新たな知識を得ることができた.

 もし日本茶に興味があるのなら,読んでみて損はないと思う.

デール・カーネギー『人を動かす』,創元社,1999

 有名な自己啓発書を読んだ.1年半ほど前にカーネギー氏の『話し方入門』を読んだのだが,本書も『話し方入門』と同様に,非常に平易な言葉で書かれており,とても読みやすい.

人を動かす 新装版

人を動かす 新装版

 

 まず,人を動かすための原則を示す.

Ⅰ 人を動かす三原則

 1. 批判も非難もしない.苦情も言わない.

 2. 率直で,誠実な評価を与える.

 3. 強い欲求を起こさせる.

 

Ⅱ 人に好かれる六原則

 1. 誠実な関心を寄せる.

 2. 笑顔で接する.

 3. 名前は,当人にとって,最も快い,最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない.

 4. 聞き手にまわる.

 5. 相手の関心を見抜いて話題にする.

 6. 重要感を与える―誠意を込めて.

 

Ⅲ 人を説得する十二原則

 1. 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける.

 2. 相手の意見に敬意を払い,誤りを指摘しない.

 3. 自分の誤りを直ちに快く認める.

 4. おだやかに話す.

 5. 相手が即座に“イエス”と答える問題を選ぶ.

 6. 相手に喋らせる.

 7. 相手に思いつかせる.

 8. 人の身になる.

 9. 相手の考えや希望に対して同情を持つ.

 10. 人の美しい心情に呼びかける.

 11. 演出を考える.

 12. 対抗意識を刺激する.

 

Ⅳ 人を変える九原則

 1. まずほめる.

 2. 遠回しに注意を与える.

 3. まず自分の誤りを話したあと相手に注意する.

 4. 命令をせず,意見を求める.

 5. 顔をたてる.

 6. わずかなことでも惜しみなく心から褒める.

 7. 期待をかける.

 8. 激励して,能力に自信を持たせる.

 9. 喜んで協力させる.

 

Ⅴ 幸福な家庭をつくる七原則

 1. 口やかましく言わない.

 2. 長所を認める.

 3. 粗探しをしない.

 4. 褒める.

 5. ささやかな心づくしを怠らない.

 6. 礼儀を守る.

 7. 正しい性の知識を持つ.

 人を動かす三原則①では次の記述がある.耳が痛い.

他人の欠点を直してやろうという気持ちは,確かに立派であり賞讃に価する.だが,どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう?他人を矯正するよりも,自分を直す方がよほど得であり,危険も少ない.利己主義的な立場で考えれば,確かにそうなるはずだ. 

死ぬまで他人に恨まれたい方は,人を辛辣に批評してさえおればよろしい.その批評が当たっていればいるほど,効果はてきめんだ.

およそ人を扱う場合には,相手を論理の動物だと思ってはならない.相手は感情の動物であり,しかも偏見に満ち,自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない.

人を批評したり,非難したり,小言を言ったりすることは,どんなばか者でもできる.そして,ばか者に限って,それをしたがるものだ. 

理解と,寛容は,すぐれた品性と克己心を備えた人にして初めて持ち得る徳である.

人を非難する代わりに,相手を理解するように努めようではないか.どういうわけで,相手がそんなことをしでかすに至ったか,よく考えてみようではないか.そのほうがよほど得策でもあり,また,面白くもある.そうすれば,同情,寛容,好意も,おのずと生まれてくる.

若い時は人づきあいが非常に下手だったそうが,後に非常に外交的な技術を身につけ,人を扱うのがうまくなり,駐仏米大使に任命されたベンジャミン・フランクリンは,彼は「人の悪口は決して言わず,長所を褒めることだ」と言っているそうだ.英国の思想家カーライルも「偉人は,小人物の扱い方によって,その偉大さを示す」と言っている.

 人を動かす原則②は,相手の長所や良い行いをきちんと褒めることである.承認欲求を満たされて不快に感じる人間は存在しない.褒めるのはついつい忘れてしまうのだが,ひと月ほど前に,説教した後輩が無事論文を提出できたということで「優秀」などと評したところ,説教した直後とは全く別の反応を示したので,適宜労いの言葉や褒め言葉を与えておくことで効率よく意思疎通を図れそうだなあ,などと思った.

 そして,人を動かす原則③は,話し方入門にも書いてある.何かをやってもらいたい場合には,彼らがやりたくなるように,それをやることによるメリットや,やらないことによるデメリットを示すことで,強い欲求を芽生えさせる.これは以前,高校の進路講演会で登壇した際にも意識したことで,実際に効果を感じることができた.人に何かをやらせたい場合には,圧力で強制させるのではなく,自発的にやりたくなるように誘導するのが重要.

 次に,人に好かれる六原則④について.聞き手にまわるというのは相手に話させるということである.好きなものに関して嫌々話す人はほぼいないので,相手の好みを把握し,それについて話させることで,相手に満足感や自分への好印象を与えることができる.この方法の利点はそれだけではない.最近話題の借金玉氏のブログには,相手に喋らせることで自分の情報を与えずに一方的に相手の情報を得ることができるとある.さらに,相手について十分な情報があれば,相手の示した情報から話したくない内容も推測できる.これからは聞き手にまわろう(元々あまり喋るタイプではないが).

 人を説得する十二原則に移る.まず①について.なぜ議論をしてはならないのか.ベンジャミン・フランクリンは「議論したり反駁したりしているうちには,相手に勝つようなこともあるだろう.しかし,それはむなしい勝利だ―相手の行為は絶対にかち得られないのだから」と言っている.

 ②について.冒頭からぐうの音も出ない正論で殴られる.

自分の考えることが55%まで正しい人は,ウォール街に出かけて,一日に100万$儲けることができる.55%に正しい自信すらない人間に,他人の間違いを指摘する資格が,はたしてあるだろうか.

目つき,口ぶり,身振りなどでも,相手の間違いを指摘することができるが,これは,あからさまに相手を罵倒するのと何ら変わりない.そもそも,相手の間違いを,何のために指摘するのだ―相手の同意を得るために?とんでもない!相手は,自分の知能,判断,誇り,自尊心に平手打ちをくらわされているのだ.当然,打ち返してくる.考えを変えようなどと思うわけがない.どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても相手の意見は変わらない―傷つけられたのは,論理ではなく,感情なのだから.

他人の考えを変えさせることは,最も恵まれた条件のもとでさえ,大変な仕事だ.何を好んで条件を悪化させるのだ.自ら手足を縛るようなものではないか.

我々は,自分の非を自分で認めることはよくある.また,それを他人から指摘された場合,相手の出方が優しくて巧妙だと,あっさり兜をぬいで,むしろ自分の率直さや腹の太さに誇りを感じることさえある.しかし,相手がそれをむりやりに押し付けてくると,そうはいかない.

ガリレオも「教えないふりをして相手を教え,相手が知らないことは,忘れているのだといってやる」と言っている.また,先ほど挙げたベンジャミン・フランクリンも若い頃は議論好きだったが,友人から次のように指摘され,己の行いを改めている.

ベン,君はだめだよ.意見の違う相手に対しては,まるで平手打ちをくらわせるような議論をする.それがいやさに,君の意見を聞くものが誰もいなくなったではないか.君が傍にいない方が,君の友人たちにとってはよほど楽しいのだ.君は自分がいちばん物知りだと思っている.だから,誰も君にはものがいえなくなる.事実,君と話せば不愉快になるばかりだから,今後は相手にすまいとみんながそう思っているんだよ.だから,君の知識は,いつまでたっても,今以上に増える見込みはない―今の取るに足りない知識以上にはね.

 人を説得する十二原則③は誤りを認めること.ここでは指揮官の作戦ミスにより戦争に敗北した事例が挙げられているが,その指揮官は兵士たちに向かって「これはすべてわたしが悪かったからだ.責任は私一人にある」と詫びたそうだ.実際に言うのは勇気がいるが,こう言い切れる上司になりたいものだ.

 名著と言われるだけあって,心を動かされる言葉が無数にある.本書をもっと早く読んでいれば,後輩指導の際に大噴火することもなかったのかもしれない.そもそも目的の達成が一番重要なのだから,怒るなんて選択肢は有り得ない.もっと効率的なコントロールを意識する必要性を感じた.