備忘録

勉強や読書の記録

ジョフ・コルヴァン『究極の鍛錬 - Talent is Overrated』,サンマーク出版,2010

 Kindleセールの対象だったので読んでみた.内容自体は良いのだが,文章が非常に読みづらい.本書は,一流になるためには才能ではなく努力が大切だと説く.もちろんただ努力すれば一流になれるのではない.本書で言うところの『究極の鍛錬』を行わなければならない.

究極の鍛錬

究極の鍛錬

 

 本書によると,究極の鍛錬は以下の5要素を含む.

  1. 指導者が設計した体系だった鍛錬メニュー
  2. 自分の弱点を繰り返し練習すること
  3. その直後に受けるフィードバック
  4. 能力向上のために徐々に高くなる課題設定
  5. 決して面白くはない訓練内容

簡単にまとめると,究極の鍛錬は,一流になるための能力向上を主眼においたメニューを通して行う.まずはじめに自分の力量を明らかにし,不得意な内容を集中的に何度も何度も繰り返す.そして各試行でフィードバックを得る.そうしていると徐々に不得意が解消され,新たな不得意もしくは相対的に弱い点が見つかる.そこで集中の対象をそれに変更し,また何度も何度も繰り返し,フィードバックを受けて修正する.当たり前だが,不得意なことばかりやっているので楽しいものではない.

 一流や専門家というと,膨大な知識を連想する.記憶障害かもしれないと思うくらいには記憶力が悪いので,彼らの凄まじい記憶力は羨ましい.ところが,本書では,それもまた究極の鍛錬の成果だという.実際に達人に様々な種類の記憶力テストをさせたところ,彼らの専門では非常に素晴らしい成績を収めているが,専門を活かせない対象については人並みの結果しか残せていない.このことから達人はドメイン依存の記憶力が優れているだけだということがわかる(もちろんそれのアナロジーで良い成績を収めることも考えられる).そもそも人間の短期記憶の容量は高が知れている.達人は豊富な知識を元に意味の塊で物事を認識し,数個の塊を記憶している.要するに,膨大な知識が「一を聞いて十を知る」を実現している.これは,佐藤優氏の著書にあったインテリジェンスの話と似ている.

 私も学部時の就職活動で第一志望の企業からお祈りされ,その時の面接の最後に言われたある一言がきっかけで進学した.進学の目的は己の能力開発.修士を修了するまでに,大抵のことを自分自身で何とかできるようにするスキルを習得するのが目的だった.もちろん修士課程に在学しているので研究もしなければいけないし,そのために勉強もしなければいけない.いっぱいいっぱいになりながらも何とか初めて論文を書き上げたのだが,何を言っているのかさっぱりわからない(指摘してくれてありがとうざいます).その時に「ちゃんと言葉を扱えないと意思疎通を図れないのだなな」と思い,修士過程の2年間で日本語力の改善に大きく力を入れることにした.昨日最後の論文をほぼ書き終えたのだが,読み返してみると,自画自賛するのもどうかと思うが,この2年の努力が反映されている.

 本書でも訓練は「訓練対象を明確にし,それに集中的に取り組む」ことが大切だと述べている.図らずも,完璧なものではないが,究極の鍛錬のエッセンスを含んでいたために,この2年で大きく能力が向上したのかもしれない.本書では訓練のモデルとして以下の3つを挙げている.

  • 音楽モデル:やることが既に決まっており,質が問題のパターン.何度も繰り返すことで改善を期待できる.
  • チェスモデル:大量の事例をインプットする.
  • スポーツモデル:基礎スキルを固めるコンディショニングと,固有スキルの開発.

この2年間で日本語力を高めるために多くの本を読んできたのだが,読書はすべてのモデルを兼ねているように思う.「日本語を読む」スキル(=質)は何度も繰り返すことで改善を期待できそう.また,読書を通じて多くの事例(日本語,知識)をインプットできる.更に,文章から情報を理解することはあらゆる場面で要求されるので,基礎スキルを固めるコンディショニングも兼ねている.その代わり,研究活動を通して専門的なスキルは不十分だが,基礎スキルの方が大切.専門スキルは後で回収すればいい.

 2年前は,それまで本を読んだことがなかったので読書が苦痛すぎて一向にページが進まなかったのだが,今では読書自体に対して抵抗はなくなってしまった(本書のように読みづらい文章にはストレスを感じるが).本書の言葉で言い換えると,2年前,読書はラーニングゾーンであったが,今ではコンフォートゾーンになってしまった.本書ではコンフォートゾーンに居ては成長できないので,とてもつらいが,成長のためには意識的にラーニングゾーンに居る必要があるという.そろそろ数学もちゃんとやらないとなあ.春休みにやろう.

 思い返せば,とてもつらい究極の鍛錬.なぜ続けられたのだろうと考えると,ひとつは必要性(働かないと死ぬ).以前読んだ『人はいかに学ぶか』にも必要性が学習を加速すると書いてあった.でも,そもそも必要性はどこから芽生えてくるのだろうか?本書によると,最初はほんの少しの成功体験が積み重なることで,究極の鍛錬を支えうる内的動機が芽生えてくるそうだ. 

 価値ある内容だったが,とにかく読みづらくてストレスが溜まった.原書の方は読んでいないが,もしかしたら直訳なのかもしれない.それなら,英語で読んだほうが良さそう.松尾氏による『「経験学習」入門』も究極の鍛錬と重なる内容があり,こちらは『究極の鍛錬』と違って非常に簡単な文章で書かれている.もし本書が読みづらいと感じるのならば,『「経験学習」入門』に目を通してから読むといいかもしれない.

「経験学習」入門

「経験学習」入門

 

 

稲垣佳世子,波多野誼余夫『人はいかに学ぶか-日常的認知の世界』,中公新書,1989

 今回の記事は,『人はいかに学ぶか-日常的認知の世界』.昨年末に読み終えていたのだが,色々とやっていた結果,年を跨いでしまった.

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

人はいかに学ぶか―日常的認知の世界 (中公新書)

 

 学ぶというと,どのようなイメージを抱くだろうか.小学校や中学校など,学校で教師が前に立って話をし,学生がそれを聞いている光景だろうか.私はもっとポジティブなものを想像したが,おそらく2年前ならそのようなイメージを抱いただろう.少なくともこうした姿は,学生たちは受身であり,積極的とは言えない.

 教育現場はこのように無能で受動的な学生を想定したような環境だが,本来人間は無能な存在ではないという.その根拠として,人間の祖先の猿を挙げている.猿は,ライオンなどに比べると,広範囲に生息している.ライオン等限られた地域に生息する生物はその地域で起り得る問題に対処できればよいが,広範囲に活動するには,より様々なリスクに対処できる必要がある.つまり,猿はこうした問題に対処できる,能動的で有能な学び手なのだ.ゆえに,猿から進化した人もまた能動的で有能な学び手と言える.

 そう考えると,先程述べた受動的で無能な学生を想定した教育方法は適切なのだろうかという疑問が浮かんでくる.本書は人間がいかに能動的で有能な学び手であるかを示すエピソードを多数示している.

 簡単にまとめると,能動性は,己が心の底から納得できる「必要性」と,「知的好奇心」(=なぜ?)に従うことで確認できる.有能さは,生得的制約も一部あるが,文化によるサポートや実際のアクションと豊富な知識による思考方向の制限で確かめられる.

 必要性はともかく,どのようにして知的好奇心を刺激すれば良いかは言及されていない.必要性を要求してるので勝手に湧くのだろうが.有能さについては,文化によるサポートや実際のアクションも結局,本書で言うところの概念的知識を得るところに意味がある.だから,アクションだけするというやりっぱなしはダメで,うまくいった時もいかなかった時も「なぜそうなったのか?」と問うことで概念的知識に昇華する,らしい.

 本書の良いところは,有能さは知識に依存すると明言している点にある.最近の意識高い本は意思決定についてばかりで(それはそれで価値ある内容だとは思うが),そもそも適切な意思決定を支援する知識について言及している本は,読んだ限りではほとんどなかった.やればなんとかなるマッチョを想定しているのだろうか…知識ないと意思決定できない…

 能動的に振る舞うには必要性が大事だという話もあった.本を書くような知的水準の高い人は大抵高校教育までの内容は十分に勉強しているだろうし,文脈を共有するためにも勉強し直さないと…さっさと修論から解放されたい…

マーク・ピーターセン『日本人の英語』,岩波新書,1988

 本書の著者は,『実践ロイヤル英文法』を書いているマーク・ピーターセンである.日本語に非常に造詣が深いのは,外国人が日本語で本を執筆している点からも明確だ.彼はこれまで幾度となく日本人の書いた英語を見てきたが,違和感を覚える点が非常に多いという.そんなちょっと不思議な日本人の英語を指摘したのが本書だ.

日本人の英語 (岩波新書)

日本人の英語 (岩波新書)

 

 そもそも本書を手に取ったのは,大学で用意されている英語のクラスで課されるライティング課題の際に,どの冠詞や前置詞を使うべきかわからないことが多いからだ.英語が堪能な知人から「冠詞と前置詞は本当に難しい」と言われたことがあり,相当勉強してる人にとっても難しいのだなあと半ば諦めていたのだが,本書を読んで解決のための手がかりを得られた.

 本書で,日本人が学ぶ英語では名詞を決めてから適切な冠詞を与えるよう教えられると書かれている.私も高校時代はそれなりに英語を勉強してたのだが,先生からもそう教えられたし,参考書にもそう書いてあったので,そのようにしてきた.ところが著者は「名詞を決めてから適切な冠詞を与える」のではなく「冠詞を決めてから名詞を考える」べきだという.目から鱗だ.

 前置詞についても言及している.私自身もそうだが,受動態の「~で」にはby~を使うと教えられた.このせいか,日本人の英語にはbyが非常に多く登場するそうだが,著者はこのbyをwithなど様々な前置詞に置き換える.実際にはbyは(1)<主に運輸・伝達>の手段:~によって,~で,(2)<特に製造・製作・発明・想像の>行為者:~によって,という使い方をされる.一方withは動作主が(ふつう意識的に)用いる道具と組み合わされることが多い.他にも,throughは直接的作用力・媒介・理由・動機等と組み合わされる.伝達手段を導くonは,手段そのものよりも,ものがその手段の上に乗って運ばれてくるようなイメージだという.

 onはモノの上をイメージするが,一方inはモノの中をイメージする.この使い分けは,簡単なものはいいが,例えばget on the train, get in the carとなると,何故そうなるのかわかる人は多くはないだろう.私もイディオムだからと諦めて無意味に覚えただけだ.この違いは,乗る人と乗り物の運転との意識の距離だという.airplane, ship. busなどは乗る人は一人の乗客に過ぎず,運転に何の影響も及ぼさないので,貨物のようにただ運ばれているという理由でonが使われる.一方,car, taxi, private aircraft等は自分とその運転の距離は,onが用いられる乗り物よりもはるかに近い.従って,自分と運転に繋がりをいくらか感じられるので,モノの中であるinを用いるのだそうだ.in/onの反対語out/offも同様の発想で区別できる.overとaroundは回転軸が違い,前者は軸が水平,aroundは垂直(障害物を避けるようなイメージ)らしい.確かに,乗り越えるという意味のget overは垂直よりも水平のほうがイメージできるし,避けるという意味のget aroundは水平よりも垂直の方が納得できる.

 ofの使い方は5通り.(1)成り立ち:e.g. a staff of 3 men and 4 women,(2)位置:north of the city,(3)同格:the continent of Asia,(4)包含関係:one of his many lovers,(5)性質:a girl of extraordinary charm.読んだだけで英語力が向上した気持ちにすらなれる. 

 後半では,より英語らしく表現するために動詞+副詞で表現することを勧めている.規則性が見出せなくて覚えられる気がせず放置していたのだが,著者はこうした表現にも規則性はあるという.

awayは必ず表現に「今の場所(状態)と関係ない,あるいは(意識的に)繋がりのない場所(状態)へ」という意味を与えるが,get away (from) ~は「~(と)別れる」「~(を)去る,退く,出ていく」,「~(から)逃げる,逃れる,抜け出す」などの意味があるが,どれも「今と関係ない,あるいはつながりのない場所(状態)へ」という共通点を持つ.

他の副詞では,acrossは動詞に「渡り/渡し(イディオムの形による.例えばget across/put acrossは使役動詞のような形なので渡し)」という意味を与えるという.こういうことを書いておいてくれれば無味乾燥とした暗鬼をせずに済んだのに…

 第17-19章では副詞や接続詞について述べている.Especially, ~という文を見たことがない人は少ないと思うが,こうした用法は有り得ないそうだ.理由としては,Especially, ~にはコンマで後に文が続く,自立した句として働く慣用がないため.要するに実際には使われないから.この場合は,In particularに直すのが問題が起きにくくてよいらしい.また,論文でよく使う「したがって」にも実は様々な種類がある.accordinglyは確かに「当然な結果として,したがって」という意味を持つが,accordinglyはin agreement with(~と一致して;~に応じて;~に相当して)という意味が強いので,「ある状態に合わせる」という意味で使うことが多い.consequentlyは「ある状態に合わせた」ではなく「ある状態の当然の結果として」という意味で使われる.また,Therefore, ~もよく見るが,筆者はこの使い方を推奨していない.Thereforeは「その理由で」という意味で,論文等にふさわしい正確さや精密さといった印象を与えるが,ゆえに,文頭+コンマで表現すると重すぎるとのこと.thereby, thusにも言及している.therebyはby way of that place(「その辺を経由して」あるいは「そのルールでやってきて」)という点からみて,「それによって」あるいは「そうしたために」という意味に.一方thusもtherebyと似たような意味を持つが,therebyはby this specific actionというニュアンスに対して,thusはin this general wayというニュアンスらしい.つまりtherebyは「ある行動によって」という使い方をされる.一方類義語のhenceは「ある状態によって」という使い方をされる.

 非常に勉強になった…普段は慣れない分野の本を読むよう心がけているので判断材料不足のせいで考えながら読むというのが中々難しいと思っていたのだが,今回は考えながら読むことができた.たまには自分がわかる分野の本を読むのも大切だな.読んで感心するだけではダメなので,早速,冬休み課題のエッセイで学びをアウトプットしよう.

千野栄一『外国語上達法』,岩波新書,1986

 以前読んだ佐藤優氏の著書に名前があったので,読んでみた.

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

 

 中身は至極真っ当で,結論から言うと,外国語を習得するには,

  1. 目的と目標を決め,
  2. 金と時間を投資し,
  3. 語彙と文法を覚える.

の3ステップが大切だと言う.4~11章で覚えるべき語彙,学習書の選び方,発音等,実際に習得するために詳細に方法が述べられている.

 自分の場合は,日本以外を選択肢に持てるように,つまり,英語で意思疎通が図れるレベルまで上げたい.目標は大体4,5年後.ボキャビルや文法はやるべきものが手元にあるし,恐らくそれで充分なので,課題は会話である.

 実を言うと,本書の内容は予め他の書籍で大体の部分を知っていたので,本書を読んで得たものは会話とレアリアの2章だけだった.この2章の中から印象に残っている部分を引用する.

 まずは会話の章から.

会話というものは自分が相手の人に伝えたいことを伝え,相手の人が伝えたいと思っていることを聞くことであって,自分がたまたまその外国語で知っている句を使ってみることではない. 

 イデオロギーとしての英会話(晶文社,1976年)の巻頭で挙げられているエピソードも興味深い.

 最後に,英会話がいかにコミュニケーションの障壁になっているかについて述べよう.もちろん英会話を勉強した人々は,駅への方向を訪ねたり,買い物の値段を聞くのは上手であるが,それは私が意味するコミュニケーションの種類ではない. 一体どうして英会話が障壁として作用するのかを述べるのは困難であるが,それは特定の内容を理解し始める以前に何かを感じさせられてしまうからだといったらいいかもしれない.一つの逸話を述べておこう.

 五年前のある大晦日の真夜中,私は,金沢の寺の境内で,大きな金が鳴らされているのを聴いて立っていた.冬の最初の雪は数時間降り続き,信念は全く新世界として,白く幻想的にその姿を現していた.私が巨大な鐘の荘厳な響きに耳を傾けていると,一人の男がやって来て尋ねた.『すみませんが,英語であなたに話してよろしいでしょうか』複雑な考えが私の心を満たしたが,私は『もちろんですよ』というほかなかった.それから彼は,お定まりの質問のリストを浴びせかけた.

 『どこから来たか』

 『日本にどれくらいいたのか』

 『金沢で観光旅行をしているのか』

 『日本食を食べられるか』

 『この儀式がどういうことかわかるか』

 彼の質問は,儀式のムードから私を押しのけ,鐘の響きから,冷たい空気の香りから,私を押しのけ,『鎖国』の浸透不可能な壁の向こう側にまで押しのけてしまった.

 彼の言葉は,『I have a book』と同じくらい,情況に適っていなかった.彼が言ったことはすべて,真実私に向けて言われたのではなかったし,彼はその答えに興味を持っていたわけでもなかった.彼は全く私に話しかけたのではなく,私の存在がたまたま彼に思い出させた外人という,彼の心の中のステレオタイプに話しかけたのであった.私に話しかけていたのは,彼自身でもなかった.彼が暗誦した文章は型にはまったお定まりで,その文章と彼自身の性格,考えや感じ方との間に何らかの関わりがあると信ずるのは難しかった.それはむしろ,二つのテープ・レコーダーの間でなされた会話であった.

 ついに彼が去り,私が不快がっているのを眺めていた他の男がやって来て,やさしくほほえみながら日本語で私に言った.『ああいう風に英語をしゃべる日本人は,日本のことを知らないんだから,あまり聞かない方がいいよ』私はとてつもない感謝の気持ちでいっぱいになり笑い出した.鎖国の壁は再び取り払われた.

 自分がスピーキングで使う英語も,自分のものではない印象を抱いているのだが,これを克服するためには「いささかの恥と軽薄さ」を持ち,ゲーテファウストにあるように「Es irrt der Mensch, solang er strebt.(人は努力する限り過つもの)」だと割り切って,ひたすらに練習を重ねるしかないと書かれている.社会人になったらDMM英会話するぞ… 

 レアリア(realia)の章は,サブタイトルからして良い.11章には「レアリア ― 文化・歴史を知らないと…」というタイトルが与えられており,この章では教養の有無で解釈が変わるという例を示している.その一つを引用する.チェコの英語・英文学者であるビレーム・マテジウスの著書である『英語なんて怖くない ― 言語体系への指針』の最後の章に以下の記述がある.

 英国の物とチェコの物では,同じ意味を持つ語で示されていようとも,いつもそれが同じものを示しているとは限らないことは,これまでに述べてきた通りである.しかし英語を学ぶものは,このことによく注意しなければならない.そこでこの章では,英国の現実がチェコあるいはスロバキアの現実と色々な面で異なっていることについて述べてみよう.次にちょっとした例を挙げる.

 "A cup of tea"は簡単に言えば「一杯のお茶」である.だが,イギリス人がこの言葉で理解するものと,我々がこの言葉で理解するものとは同じではない.問題になっている茶碗は両方とも同じかもしれないが,中身はそれぞれ違っている.わが国の場合は,少量の中国産あるいはロシア産のお茶を漉して得られたややくすんだ金色の液体で,これに砂糖を入れて甘くしてから,そのまま飲むか,レモンのしぼり汁,あるいはラムまたはコニャックを加えて飲む.ところがイギリスでは,中国産のよりずっと味が濃いインド産あるいはセイロン産のお茶をもっと多量入れて漉して作るが,そのようにして得られた焦げ茶色をした液体は,生のミルクと混ぜられる.

 (中略)

 以上述べてきたことから分かるように,英国の現実とチェコの現実はただ細かい点にあるのではなく,英国とチェコでは社会構造が違うことが重要だということがお分かりであろう.外国語を学ぶ大きな意味は,これらの差異を我々が認識することにあるのである. 

 歴史を学ぶ目的がひとつはっきりして,歴史を勉強したくなってきた.学校でこういうことを教えてくれれば,高校や大学時代に遊び倒すだけでなく,もっと勉強に時間を割いてたのに….言語はそもそも伝達が目的なので,レアリア(教養)による言語外情報も大切な情報源の一つである.そう考えると,これまで読んできた英文や書物も,歴史や文化に対する知識が欠落しているために,十二分に内容を吸収できていないんだろうなあ.バカつらい.

 本書の最後は,「感心するだけでは意味がないので,実際にやれ」と締められている.その通りなのだが,最優先事項の処理(修士論文)があるので,さっさと片付けねば…

大塚英志『大学論 いかに教え,いかに学ぶか』,講談社現代新書,2013

 本書はまんがを教える大学で教鞭を取る大塚英志先生のエッセイである.サブタイトルにもあるように,大学での指導を通して何を教えるのか,大学でいかに学ぶのかという点にフォーカスされている.

 結局のところ,「自学」 が大切だという話になる.goo辞書で自学とは「自分一人で学ぶこと」とあるが,本書ではもっと詳細に,「自らその方法から始まり,領域に至るまでを構築していく在り方」と定義している.著者の師である千葉徳爾柳田國男を師として仰ぎ,師として学ぶことを決めた理由が,柳田が「自学の人」であったからだという.柳田から自学を学んだ千葉によって伝えられた自学は,著者のベースになっている. 

 そんな著者のカリキュラムの特徴が,1年次には徹底して「方法」のみを教えている点だ.その理由は,自分の内なるものを制御するために,自由を一切認めず,方法を徹底して実技を行い,習得させることで,2年次以降に自分の内なるものを制御して出力させるためだ.

 目的が分かっている場合にはこのような手法は有効だと思うのだが,目的が伝わらないとこのようなスタイルは中々退屈だと思う(まあ,手を動かさざるを得ないので,やった分だけで進捗が出るという意味ではつらくはなさそう).少なくとも自分の大学は勉強する気のない(苦労せずに報酬を最大化したい)学生が大半なので,そういう学生を,勉強させる方法よりも,どうやってやる気を出させる方法も結構大切だと思っている.そもそも勉強や研究に打ち込みたい学生は旧帝大に行くだろうし,そうではない学生を導く方法についてはあまり話されていないように思う.

 著者も『教育現場の中で,「いかに教えるか」という「方法」や,「方法」の見つけ方を教えるという態度がどこかで崩れたのかもしれない』と述べている.また,著者は大学教育についても,『大学生の教養や学力が低下したと叫ばれているが,そもそも大学教員の教養や学力が低下しているのではないか』と疑問を呈している.大学教員も人間なので,優秀な層とそうでない層の差が激しいのはしょうがない部分があると思う.ただ,研究は好きだけれど教育は好きではない人もそれなりにいそうで,そういう人は,企業の研究職に就いた方が幸せなのでは…と思ってしまう.少なくとも学部は教育機関だし,彼らの人生数年間を無にするのは,もし自分が大学教員なら絶対にやりたくない.

 少し話が逸れてしまった.

 「方法」を教えるという意味では,研究活動を通じて「方法」のいくつかを身につけられたので,時間を自由に使わせてくれる研究室で修士2年間を過ごせたのはよかった.ただ,考え続ける力はかなり弱いので,そろそろ「今まで勉強してこなかったのだから,そもそも考える材料がない.考えるよりも先に最低限の材料を揃えなければ」と言い訳せずに,それを鍛える時間を確保していかねば.以前紹介した逆説の軍事学で「十分な経験を積んでいるはずなのだから,考えることにリソースを割くべき」とあったが,十分な経験があるのだからリソースを割くべきであって,そもそも十分な経験がないのだから黙って勉強すべき.うん.

 それにしても,本書で登場するまんがを描くのに苦悩する学生を見ると,確かに「学力」自体は僕の方が上なのかもしれないが,どう考えても彼らの方が優秀である…悔しい…

ボー・ブロンソン,アシュリー・メリーマン『競争の科学』,実務教育出版,2014

 Amazon USでかなり評価が高かったので,読んでみた.ホルモンや遺伝子など生物学的な実験の結果を用いながら論を展開していく.

競争の科学??賢く戦い、結果を出す

競争の科学??賢く戦い、結果を出す

 

 本書の使い方は,終わりに書いてあるように,競争で落ち込んだ時に,その原因を分析し,パフォーマンスを高めるためには何が必要かを明らかにするのが良い. 

 次の一文は序盤に書かれているのだが,印象に残っている.

初心者は肯定的なフィードバックから,熟達者は批判からメリットを得る.

 後輩に指導することが少なくないのだが,ついつい正論で殴りつけてしまうので気をつけなければ…それから,成長や改善が見られた時に褒め忘れてしまうのも.こちらからまだまだでも,彼らからしたら大きな一歩なのだから,適切に認めてやらねば…

競争を脅威だと感じる場合にはリスクを取らなくなるだけでなく,ミスに強く引き摺られる.これを解決するためにも脅威から挑戦へフレームを切り替える必要がある.

競争心の炎が燃え上がるのは,高い長期的目標を持っているとき,リスクとミスが許されているとき,野心を自由に抱いているとき.

 ミスを指摘するしない問題はあるが,少なくとも自分に関してはミスを刻み付ける方が良いタイプ(忘れっぽいので).

自分のミスを繰り返し見ることでミスをしても扁桃体と前帯状皮質が過剰に反応しないようにする.また,ゆっくり呼吸することで心拍数と血管拡張を調節.

アマチュアは不安を有害なものと捉え,プロは有益なものと捉える傾向がある.プロは自分が不安を感じていると自覚している.だがそれでもまだ「状況をコントロールできる」「いいパフォーマンスをする準備ができている」「目標を達成できると信じている.

「自分は能力が高い」と言って自分を安心させることが競争でのいい結果を促すことを示す科学的証拠はほとんどない.多くの研究が,自分へのネガティブな語りかけが,良いパフォーマンスに結びつくことを示している.

 本書によると怒りが競争において有効だそうで,時間を見つけて怒りについても勉強しなければ.

ティナ・シーリグ『スタンフォード大学集中講義 20歳のときに知っておきたかったこと』,阪急コミュニケーションズ,2010

 今回紹介するのは『20歳のときに知っておきたかったこと』.1年半前に読んでいたのだが,諸事情により,再度読み直した.

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

  • 作者: ティナ・シーリグ,Tina Seelig,高遠裕子
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2010/03/10
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有名なだけあって,非常に面白い.本書全体を通して,『自分に許可を与える』ことの重要性を説いている.「この本にはあなたの人生を変える言葉がいっぱい詰まっています」と書いてあるが,嘘ではない.

 この1年半の訓練のおかげで,もちろん本書で挙げられているエピソードほどではないが,本書に書かれている多くのことは当然のものとして消化できていたので,消化しきれていなかった部分や実行できていなかったことをメモとして残しておく.

  • 失敗のレジュメ:失敗や後悔をレジュメにしておく.バカな上に忘れっぽいので,作っておいた方がいい.
  • 判断に迷ったら,後で納得できるよう/自信をもって他者に話せるよう「正しいこと」を選ぶ:多くの人は「正しい判断」(=自己の利益が最大化されるとは限らない)と「賢明な判断」(=自己利益最大化)を区別できていない.
  • 3つのルール:その時々で3つの優先順位を設ける.軍隊でもこのルールは採用されている.ちなみにルールを4つにした場合は目に見えてパフォーマンスが落ちたらしい.
  • 最高のチーム・プレイヤーは他人を成功させるために努力を惜しまない:この2年で個人主義的な思想が少し強くなりすぎたという自覚があるので,戒めとして.組織内で地位が上がれば上がるほど,個人としての貢献よりも,下の人たちを引っ張り,奮い立たせ,やる気を引き出すことが役目になる.