備忘録

勉強や読書の記録

デール・カーネギー『人を動かす』,創元社,1999

 有名な自己啓発書を読んだ.1年半ほど前にカーネギー氏の『話し方入門』を読んだのだが,本書も『話し方入門』と同様に,非常に平易な言葉で書かれており,とても読みやすい.

人を動かす 新装版

人を動かす 新装版

 

 まず,人を動かすための原則を示す.

Ⅰ 人を動かす三原則

 1. 批判も非難もしない.苦情も言わない.

 2. 率直で,誠実な評価を与える.

 3. 強い欲求を起こさせる.

 

Ⅱ 人に好かれる六原則

 1. 誠実な関心を寄せる.

 2. 笑顔で接する.

 3. 名前は,当人にとって,最も快い,最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない.

 4. 聞き手にまわる.

 5. 相手の関心を見抜いて話題にする.

 6. 重要感を与える―誠意を込めて.

 

Ⅲ 人を説得する十二原則

 1. 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける.

 2. 相手の意見に敬意を払い,誤りを指摘しない.

 3. 自分の誤りを直ちに快く認める.

 4. おだやかに話す.

 5. 相手が即座に“イエス”と答える問題を選ぶ.

 6. 相手に喋らせる.

 7. 相手に思いつかせる.

 8. 人の身になる.

 9. 相手の考えや希望に対して同情を持つ.

 10. 人の美しい心情に呼びかける.

 11. 演出を考える.

 12. 対抗意識を刺激する.

 

Ⅳ 人を変える九原則

 1. まずほめる.

 2. 遠回しに注意を与える.

 3. まず自分の誤りを話したあと相手に注意する.

 4. 命令をせず,意見を求める.

 5. 顔をたてる.

 6. わずかなことでも惜しみなく心から褒める.

 7. 期待をかける.

 8. 激励して,能力に自信を持たせる.

 9. 喜んで協力させる.

 

Ⅴ 幸福な家庭をつくる七原則

 1. 口やかましく言わない.

 2. 長所を認める.

 3. 粗探しをしない.

 4. 褒める.

 5. ささやかな心づくしを怠らない.

 6. 礼儀を守る.

 7. 正しい性の知識を持つ.

 人を動かす三原則①では次の記述がある.耳が痛い.

他人の欠点を直してやろうという気持ちは,確かに立派であり賞讃に価する.だが,どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう?他人を矯正するよりも,自分を直す方がよほど得であり,危険も少ない.利己主義的な立場で考えれば,確かにそうなるはずだ. 

死ぬまで他人に恨まれたい方は,人を辛辣に批評してさえおればよろしい.その批評が当たっていればいるほど,効果はてきめんだ.

およそ人を扱う場合には,相手を論理の動物だと思ってはならない.相手は感情の動物であり,しかも偏見に満ち,自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない.

人を批評したり,非難したり,小言を言ったりすることは,どんなばか者でもできる.そして,ばか者に限って,それをしたがるものだ. 

理解と,寛容は,すぐれた品性と克己心を備えた人にして初めて持ち得る徳である.

人を非難する代わりに,相手を理解するように努めようではないか.どういうわけで,相手がそんなことをしでかすに至ったか,よく考えてみようではないか.そのほうがよほど得策でもあり,また,面白くもある.そうすれば,同情,寛容,好意も,おのずと生まれてくる.

若い時は人づきあいが非常に下手だったそうが,後に非常に外交的な技術を身につけ,人を扱うのがうまくなり,駐仏米大使に任命されたベンジャミン・フランクリンは,彼は「人の悪口は決して言わず,長所を褒めることだ」と言っているそうだ.英国の思想家カーライルも「偉人は,小人物の扱い方によって,その偉大さを示す」と言っている.

 人を動かす原則②は,相手の長所や良い行いをきちんと褒めることである.承認欲求を満たされて不快に感じる人間は存在しない.褒めるのはついつい忘れてしまうのだが,ひと月ほど前に,説教した後輩が無事論文を提出できたということで「優秀」などと評したところ,説教した直後とは全く別の反応を示したので,適宜労いの言葉や褒め言葉を与えておくことで効率よく意思疎通を図れそうだなあ,などと思った.

 そして,人を動かす原則③は,話し方入門にも書いてある.何かをやってもらいたい場合には,彼らがやりたくなるように,それをやることによるメリットや,やらないことによるデメリットを示すことで,強い欲求を芽生えさせる.これは以前,高校の進路講演会で登壇した際にも意識したことで,実際に効果を感じることができた.人に何かをやらせたい場合には,圧力で強制させるのではなく,自発的にやりたくなるように誘導するのが重要.

 次に,人に好かれる六原則④について.聞き手にまわるというのは相手に話させるということである.好きなものに関して嫌々話す人はほぼいないので,相手の好みを把握し,それについて話させることで,相手に満足感や自分への好印象を与えることができる.この方法の利点はそれだけではない.最近話題の借金玉氏のブログには,相手に喋らせることで自分の情報を与えずに一方的に相手の情報を得ることができるとある.さらに,相手について十分な情報があれば,相手の示した情報から話したくない内容も推測できる.これからは聞き手にまわろう(元々あまり喋るタイプではないが).

 人を説得する十二原則に移る.まず①について.なぜ議論をしてはならないのか.ベンジャミン・フランクリンは「議論したり反駁したりしているうちには,相手に勝つようなこともあるだろう.しかし,それはむなしい勝利だ―相手の行為は絶対にかち得られないのだから」と言っている.

 ②について.冒頭からぐうの音も出ない正論で殴られる.

自分の考えることが55%まで正しい人は,ウォール街に出かけて,一日に100万$儲けることができる.55%に正しい自信すらない人間に,他人の間違いを指摘する資格が,はたしてあるだろうか.

目つき,口ぶり,身振りなどでも,相手の間違いを指摘することができるが,これは,あからさまに相手を罵倒するのと何ら変わりない.そもそも,相手の間違いを,何のために指摘するのだ―相手の同意を得るために?とんでもない!相手は,自分の知能,判断,誇り,自尊心に平手打ちをくらわされているのだ.当然,打ち返してくる.考えを変えようなどと思うわけがない.どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても相手の意見は変わらない―傷つけられたのは,論理ではなく,感情なのだから.

他人の考えを変えさせることは,最も恵まれた条件のもとでさえ,大変な仕事だ.何を好んで条件を悪化させるのだ.自ら手足を縛るようなものではないか.

我々は,自分の非を自分で認めることはよくある.また,それを他人から指摘された場合,相手の出方が優しくて巧妙だと,あっさり兜をぬいで,むしろ自分の率直さや腹の太さに誇りを感じることさえある.しかし,相手がそれをむりやりに押し付けてくると,そうはいかない.

ガリレオも「教えないふりをして相手を教え,相手が知らないことは,忘れているのだといってやる」と言っている.また,先ほど挙げたベンジャミン・フランクリンも若い頃は議論好きだったが,友人から次のように指摘され,己の行いを改めている.

ベン,君はだめだよ.意見の違う相手に対しては,まるで平手打ちをくらわせるような議論をする.それがいやさに,君の意見を聞くものが誰もいなくなったではないか.君が傍にいない方が,君の友人たちにとってはよほど楽しいのだ.君は自分がいちばん物知りだと思っている.だから,誰も君にはものがいえなくなる.事実,君と話せば不愉快になるばかりだから,今後は相手にすまいとみんながそう思っているんだよ.だから,君の知識は,いつまでたっても,今以上に増える見込みはない―今の取るに足りない知識以上にはね.

 人を説得する十二原則③は誤りを認めること.ここでは指揮官の作戦ミスにより戦争に敗北した事例が挙げられているが,その指揮官は兵士たちに向かって「これはすべてわたしが悪かったからだ.責任は私一人にある」と詫びたそうだ.実際に言うのは勇気がいるが,こう言い切れる上司になりたいものだ.

 名著と言われるだけあって,心を動かされる言葉が無数にある.本書をもっと早く読んでいれば,後輩指導の際に大噴火することもなかったのかもしれない.そもそも目的の達成が一番重要なのだから,怒るなんて選択肢は有り得ない.もっと効率的なコントロールを意識する必要性を感じた.

野矢茂樹『入門!論理学』,中公新書,2006

 立花氏・佐藤氏の共著『ぼくらの頭脳の鍛え方』で紹介されていた一冊.その名の通り,論理学のバックグラウンドの全くない人のために,記号を用いずに,公理系の導入から(論理学における)演繹的推論までを扱っている.本書の良さは,本書を通して,何もないところから論理学を組み立てていくプロセスが記述されている部分にある.このような内容が書かれた本は少ないので(単に出会っていないだけかもしれないが),一読の価値はあると思う.

入門!論理学 (中公新書)

入門!論理学 (中公新書)

 

 記号を使わない代わりに,どうしても記述が長くなってしまうので少し読みづらい部分はある.が,246ページしかないのによくまとまっている.もし実践的なものを求めているのであれば,氏の著書『論理トレーニング101題』を推奨する.

論理トレーニング101題

論理トレーニング101題

 

 知識面では特に新しいものはなかったが,印象に残っている部分がある.

実は, 論理学を学んだからといってただちに論理的になれるというわけではないのですが,論理学の教科書というのはとても論理的に書かれていますから,それを読んでちゃんと理解するというのが,すごく論理のトレーニングになるんですね.いまの解説などを読んで,自分がどう間違えていたのかをきちんと理解する.それが―そこで得た知識がというよりも,その解説を理解するために使った頭の働かせ方が―,あなたの論理力を鍛えてくれるというわけです.頑張ってください.

本書では「論理」を「言葉と言葉の意味的ネットワーク」と表現しており,まさにその通り.この辺いけるなーと思うと読み飛ばすと大事な部分を見落としたりして,後で困ることが少なくない身としては,気をつけねば.

モーティマー J. アドラー,チャールズ V. ドーレン『本を読む本 読書家を目指す人へ』,講談社,1997

 本を探していたら目に入ってきた本書.以前,佐藤優氏の『知の読書術』を読んだが,それよりは遥かに役に立つ内容である.結論から言うと,論文の読み方と同じことが書いてあるので,普段から論文を読む人はわざわざ読む必要はないかもしれない.

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

 本書では,読書家を「情報や知識を,ラジオ・テレビなどのマスメディアではなく,活字によって得る習慣のある人」と定義している.さらに,マスメディアについては,必要なデータや資料を全てマスメディア側で用意することで,自分の頭でものを考えなくても済むようなパッケージを提供している,と評している.要するに,マスメディアに浸かり過ぎたために頭を使うことができなくなったと述べている.

 実際自分もテレビにずぶずぶだった時期があるので,大学院に進学するまで,そもそも「頭を使う」ということがどういうことかわからなかった.本書は,読書家になるための方法を記している.つまり,活字から情報・知識を得るために「頭を使う」方法を示している.

 本書では読書を,(1) 初級読書,(2) 点検読書,(3) 分析読書,(4) シントピカル読書,の4つのレベルに分けている.初級読書で重要なのは「文を読んで意味を理解できること」.点検読書では「時間内にある程度の量の内容を把握できること」,分析読書では「理解を深めること」が重要である.シントピカル読書はあるテーマに関して複数の本を読み,得た内容を自分の中で再構築する読書法である.

 初級読書はここでは触れないでおく.人の文章を読んで意味を汲み取れる人は読む必要はない(大変恐ろしいことに,汲み取れない人は少なくないのだが).

 点検読書は,論文のサーベイに相当する.タイトルや序文,もしあれば「終わりに」(論文では,タイトルとイントロダクション,結論)をざっと見る.さらに,索引を見て,参照箇所の多い用語のページを読む.最後に,各章や節の冒頭や末尾における要約を意識しながら拾い読みをする.

 ところで,この点検読書に関する章では,速読についても触れている.読むのが遅い理由として,(1) 目の固定,(2) 一度読んだ部分をもう一度読み直す,が挙げられている.最近では速読法に関する書籍も多いが,本書では,読むのが遅い原因と,それへの対処法して以下のように記述している.

 精神は目と違って一度に一つの単語や句だけを「読む」 わけではない.精神というこの素晴らしい人間の道具は,ただ目を通して必要な情報が与えられさえすれば,ほんの一目で一つの文また一つのパラグラフさえも掴み取ることがができる.だから,読者の精神の働きを妨げる目の固定や逆戻りをまず第一に矯正しなくてはならない.幸いな殊に,これは簡単に治せる.そうすると読者は目の動きに縛られず,精神の活動のスピードに合わせて早く読めるようになる.

 目を固定する癖をなおすには自分の手を使うだけでよい.自分で手をページの上に置いて,それをだんだん速く動かす練習をする.親指,人差し指,中指をそろえ,これを活字の行に沿って目の動きより早めに移動させる.多少無理しても,この手についていくよう努力をする.やがて,その手の動きの通りの速さで字が読めるようになってくる.そうしたら手の方のスピードをあげてみる.この繰り返しを続けると,いつの間にか読みの速度は二倍にもなっているだろう.

 速読ができれば理解が深まるわけではないと思う人もいると思う.しかし本書では,手を動かすことで,読みの速度を速めるだけでなく,居眠りをしたり他のことを考えたりすることがなくなるので,集中力を高める役目があるという.

読書の集中力とは,積極性と同じであり,良い読者とは,集中力を持って積極的に能動的に読む人を言う. 

耳が痛い.ちなみに,眼を覚ましていられるかは読書の目的で決まるとも言っている.読書によって得られる内容から,利益を得ることを目的にする.つまり,見返りを求めろ,ということだ.

 積極的な読書をする上で重要なのが,「読んでいる間に質問し,それに対して自分で答えること」.この質問とは,(1) 全体として何に関する本か,(2) 何がどのように詳しく述べられているか,(3) その本は全体として真実か,あるいはどの部分が真実か,(4) それはどんな意義があるのか,の4つである.これ以降の内容も,この4つの質問に基づいている.

 次に,分析読書について.分析読書の規則として,次の5規則を挙げている.

Ⅰ 分析読書の第一段階 ―何についての本であるか見分ける―

 1. 種類と主題によって本を分類する.

 2. その本全体が何に関するものであるかをできるだけ簡潔に述べる.

 3. 主要な部分を順序よく関連付けてあげ,その概要を述べる.

 4. 著者が解決しようとしている問題が何であるかを示す.

 

Ⅱ 分析読書の第二段階 ―内容を解釈する―

 5. キー・ワードを見つけ,著者と折り合いをつける.

 6. 重要な文を見つけ,著者の主要な命題を把握する.

 7. 一連の文の中に著者の論証を見つける.または,いくつかの文を取り出して,論証を組み立てる.

 8. 著者が解決した問題はどれで,解決していない問題はどれか,見極める.未解決の問題については,解決に失敗したことを,著者が自覚しているかどうか見定める.

 

Ⅲ 分析読書の第三段階 ―知識は伝達されたか―

 (A) 知的エチケットの一般的心得

  9. 「概略」と「解釈」を終えない内は,批評に取り掛からないこと(「わかった」と言えるまでは,賛成,反対,判断保留の態度の表明を差し控えること.)

  10. けんか腰の反論は良くない.

  11. 批評的な判断を下すには,十分な根拠を挙げて,知識と単なる個人的な意見をはっきり区別すること.

 (B) 批判に関してとくに注意すべき事項

  12. 著者が知識不足である点を,明らかにすること.

  13. 著者の知識に誤りがある点を,明らかにすること.

  14. 著者が論理性に欠ける点を,明らかにすること.

  15. 著者の分析や説明が不完全である点を,明らかにすること.

2. はまあいいだろう.3. は一番大きな部分でのアブストや,より小さな部分でのアブストを意識することである.ちなみに「構成」については,作者が示すものよりも,自分で構築したものが優れている場合もあるので,読者は自分で構成を示さなければならないとある.6. では,著者の命題を理解できたか判断するために「自分の言葉で言い換えてみる」ことを勧めている.

 これらの規則はあくまで理想である.しかし,理想的な読書に近づくには,一冊でも上記の規則を守って読む必要がある.そのためにも点検読書で良著を選別しなければならない.

 分析読書は一冊の理解を目指しているのに対し,シントピカル読書は複数の本の理解を目的としている.以下にシントピカル読書のまとめを示す.

Ⅰ シントピカル読書の準備作業 ―研究分野の調査

 1. 図書館の目録,他人の助言,書物についている文献一覧表などを利用して,主題に関する文献表を作成する.

 2. 文献表の書物を全部点検して,どれが主題に密接な関連を持つかを白江,また主題の観念を明確につかむ(これら2つの作業は,必ずしもこの順番にするわけではない.つまり,この2つは,相互に影響し合うものだからである.)

 

Ⅱ シントピカル読書 ―準備作業で集めた文献を用いて

 第一段階

  準備作業で関連書とした書物を点検し,もっとも関連の深い個所を発見する.

 第二段階

  主題について,特定の著者に偏らない用語の使い方を決め,著者に折り合いをつけさせる.

 第三段階

  一連の質問をして,どの著者にも偏らない命題を立てる.この質問には,大部分の著者から答えを期待できるようなものでなければならない.しかし,実際には,著者が,その質問に表立って答えていないこともある.

 第四段階

  様々な質問に対する著者の答えを整理して,論点を明確にする.あい対立する著者の論点は,甘楽ずしも,はっきりした形で見つかるとは限らない.著者の他の見解から答えを推測することもある.

 第五段階

  主題を,できるだけ多角的に理解できるように,質問と論点を整理し,論考を分析する.一般的な論点を扱ってから,特殊な論点に移る.各論点がどのように関連しているかを,明確に示すこと.(弁証法的な公平さと客観性とを,全過程を通じて持ち続けることが望ましい.そのために,ある論点に関して,ある著者の見解を解釈するとき,必ず,その著者の文章から原文を引用して添えなくてはならない.)

 いずれ自分の周りに教師はいなくなるので,自分自身が教師とならなければならない.そのためには先人の知恵を学ぶ,知る必要がある.優れた読書家になることで,教師のいない環境でも学び続けることができる.ようやく修士論文からも解放されたので,良著の読書と勉強に勤しまねば.

優れた読者になるためには,本にせよ,論文にせよ,無差別に読んでいたのではいけない.楽に読める本ばかり読んでいたのでは,読者としては成長しないだろう.自分の力以上の難解な本に取り組まねばならない.こういう本こそ読者の心を広く豊かにしてくれるのである.心が豊かにならなければ学んだとは言えない. 

精神の成長は人間の偉大な特質であり,ホモ・サピエンスと他の動物とが大きく違っているのもこの点である.動物にはこのような精神の成長は見られない.だが人間にだけ与えられたこの優れた精神も,筋肉と同じで,使わないと萎縮してしまう恐れがある.精神の鍛練を怠ると,“精神萎縮”という代償が待っている.それは精神の死滅を意味する恐ろしい病である. 

ガー・レイノルズ『プレゼンテーションzen デザイン あなたのプレゼンを強化するデザインの原則とテクニック』,丸善出版,2014

 プレゼンテーションzenの続編を読んだ.前作はデザインも含むプレゼンテーションの準備・実践など全般について記述されていたが,本書はデザインに焦点を当てている.エクセレント・カンパニーの共著者であるトム・ピーターズは「我々はみなデザイナーであり,もっとデザインを意識する必要がある」と述べている.

プレゼンテーションZENデザイン

プレゼンテーションZENデザイン

 

 中では様々なツールが紹介されているのだが,カラースキームについては以下の3つが紹介されている.自分のスライドの配色はAdobe Color CCを用いてベースカラーの類似色5つと補色1つ決めたのだが,色々なサービスがあるのだなあ.Adobe Color CCでは写真から色を抽出したりもできるらしい.本書では「自然は完璧な色彩画家である」と言われているし,風景写真などから色を抽出してカラーパレットを決めるのも有効だろう.

 他に挙げられているフリーかつ有益なソフトの一つとして Gapminder World が挙げられている.統計データを物凄くキレイにプロットしてくれる(研究発表で使う機会があるかどうかはわからない).

 デザインに関する内容以外も含まれているが,その辺はプレゼンテーションzenで触れられている内容なので,特に新しさはなかった.著者のガーは読書家でもあるらしく,彼のホームページには推薦書籍へのリンクが貼られている.時間を見つけて読もう…

 最後に,非常に印象に残っている第10章のフレーズを引用しておく.

デザイン向上を目指す旅の第一歩は,出発点を固めることだ.競争相手は自分のみである.我々の大部分は,今日必要とされるデザインやビジュアル・コミュニケーション戦略について学んだ経験が無い.しかし,学ぶのに遅すぎるということはない.いくつになっても新しいことを学び,進歩することは可能である. 

あなたは出発点を見極め,後にどれだけ進歩したかを確認できるようにしなければならない.そのためにはひとまず足を止め,コンピューターなどの文明の利器から離れて,自分の現状や改善すべき点を見つめ直す必要がある.日本には「反省」と呼ばれる習慣がある.それは内省のための一種の休止時間である.人々は現在取り組んでいるプロジェクトについて(たとえ順調に進んでいる場合であっても)さまざまに思いを巡らし,それを改善する方法を模索する.自らを省みる姿勢が無ければ,教訓は得られない.「反省なくして向上なし」である

教師の存在は不可欠であり,重要なものだ.彼らは我々に方向性を示してくれる.しかし,最終的に何かを学べるかどうかは,常に我々自身にかかっている.我々が現在身に付けている知識の大半は,自分自身の努力と,教室外におけるたゆまぬ向上心によって得られたものである. 

カイゼン(ここでは「継続的な向上」という意味合い)の興味深い点は,大進歩や急激な買いかっくは必要ではないということだ.むしろ,重要なのは向上の足掛かりとなるアイデアを(どんなに小さなものであれ)常に探し続けることである.ごく小さな改善であってもかまわない.なぜなら長期的に見れば,それらが積もり積もって大進歩に繋がるからだ.「千里の道も一歩から始まる」もまた,カイゼンに内在する教訓である.シンプルで簡単に実行できる改良は,その時点では大したことが無いように思われるかもしれない.しかし,その集積が大改良を生み出すのである.

「頂点を極めたと思った瞬間,人は衰退への道を歩み始める」という古い格言がある.完璧に見えるものにも,改善の余地はある.日々向上を目指し続けることがカイゼンの本質である.自分が長い旅路のどのあたりまで来ているのか,あとどれくらいの道のりがあるのかは重要ではない.大切なのは今この瞬間であり,身の回りの教訓に気付くこと,そして常に学び,向上していく意欲を持つことである.

 周囲の環境から学ぶためには,至るところに潜んでいる教訓を見抜かねばならない.しかし,それらに気付くには,意識を研ぎ澄ます必要がある.高い意識を持つことは,「個人的カイゼン」の第一歩である.しかし,我々の大半は無数のマルチタスク(あるいはイライラの種)で埋め尽くされた慌ただしい日々を送っており,常に高い意識を維持することができなくなってしまっている. 

 我々の日常生活はハイペースで進行している.しかし(我々に理解と成長をもたらしてくれるような)研ぎ澄まされた意識を持つには,スローダウンが必要だ.忙しい生活の合間を縫って,一人になる時間を見つけ出してほしい.リラックスできる時間を十分にとれば,身の回りの教訓が見えてくるはずだ.時が経つにつれて,あなたの意識はさらに研ぎ澄まされ,ますます多くの教訓が目に飛び込んでくるようになるだろう.

ガー・レイノルズ『プレゼンテーションzen プレゼンのデザインと伝え方に関するシンプルなアイデア 第2版』,丸善出版,2014

 論文投稿の関係で中々本を読む時間を確保できていなかったのだが,一段落したので,プレゼンテーションを控えてることもあり,プレゼンに関する本を読んでみた.本書に載ってるサンプルスライドは研究発表に活かしづらいものが多いが,一方で,本書で説いているプレゼンテーションの在り方には,論文執筆にも活かせるものが少なくない.

プレゼンテーションZEN 第2版

プレゼンテーションZEN 第2版

 

  例えば,第3章『アナログ式に計画を練ろう』では,コンテンツや表現方法を十分に煮詰めることなくパワーポイントに向かう人の多さを指摘している.この章では,まず紙やホワイトボードなど,アナログ式に内容を練り上げてから,スライドに落とし込むことを推奨している.その中に『2つの問い:「何が言いたいのか?」「なぜそれが重要なのか?」』という節がある.その内容は,扱っている内容の重要性が伝わらないと,聞き手に十分に伝わらないということである.現在執筆中の論文でも『なぜそれが重要なのか?』が不十分だと指導教員に指摘された身には耳が痛い(自分の中では重要な問題だが,その重要さを明確に記述していなかった).

 本書では,メッセージにおいて『なぜ重要なのか?』が欠如していることを,つまり,自分と同レベルの背景知識を持たない聞き手の気持ちに思い至らないことを,『知の呪縛』に縛られていると表現している.ではこの『知の呪縛』に立ち向かうためにはどうすべきか.本書ではSUCCESs(Simplicity: 単純明快,Unexpectedness: 意外性,Concreteness: 具体性,Credibility: 信頼性,Emotions: 感情に訴えること,Stories: 物語性)を提案している.これらのうち,Storiesに関する部分には非常に印象深い記述がある.

人間は自分の経験を物語の形で記憶するようにできている.つまり,物を覚えるにはストーリー時縦にするのが,一番効率がいいのだ.人間が耳や目を使って情報を共有してきた年月は,リストや箇条書きのそれよりも遥かに長い.

記憶力が非常に悪い(というより,やり方が悪いのだと思う)自分には参考になる.

 信頼性を高める上では,引用句の使用も有効だと言う.虎の威を借る狐というわけだ.これについては,元マッキンゼーで『エクセレント・カンパニー』の共著者でもあるトム・ピーターズが公開している "Presentation Excellence" の第18条にも書いてある.

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)

 

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 第8章では,実際にプレゼンテーションする際には,もちろんプレゼンテーションに限った話ではないが,「完全にその場に集中すること」が重要であるという.ここでは「無心」,つまり,心はここにはないが,ある状態のこと,を「集中」としている.『競争の科学』の冒頭で,百戦錬磨のプロスポーツ選手でもかなりのストレスがかかっていると示すデータが挙げられていたが,恐らくこれが「無心」なのかもしれない.しかし,LINEやFacebook,メールなど,あらゆるところで通知が鳴る環境では,自分自身や何かに集中することはできない(この辺はニコラス・G・カーの『ネット・バカ』にも書かれている).そういう環境は避けることはできないので,せめて意識的にでも離れる必要があると思う.さっさと論文修正を終えて一刻も早くスマホの電源切ろうキャンペーンを再開したい.

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

 第9章「聴衆と心を通い合わせる」では,集中力を高める上で「驚き」の感情が有効だという.覚醒レベルを上げ,集中力を高めてくれるのだとか.第10章にも,衝撃的なエピソードや驚くべきデータ,感動的な写真などの提示により感情に訴えることでコンテンツが記憶に残りやすくなる,とある.感情を揺さぶられることで,大脳辺縁系扁桃体から信号が送られ,ドーパミンが放出されるらしいが,詳細はジョン・メディナ『ブレイン・ルール』を読まないとよくわからない.ちなみに,この『ブレイン・ルール』では「ミラー・ニューロン」にも言及している模様.ミラー・ニューロンとは「自分が何かをするときと,他人がそれを行うのを見るときの,どちらの場合にも活動電位を発生させる神経細胞」らしい.共感能力とも取れるが…今月15日に予定があるので,楽しみが増えた.

ブレイン・ルール [DVD付き]

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 本を読むようになってからよく思うのだが,世の中にたくさんいる「賢い人」は,頭がいい云々よりも,効率的な情報処理の仕方を習得しているだけなのかもしれない(それが凄いことなのだが).以前『究極の鍛錬』を読んでから,ますますそう思うようになった.第2章でも「あなたにも創造力はある」という節がある.創造力に関する記述を引用する.

クリエイティブであるということは,(中略)脳全体を使って解決策を見出すことである.創造力とは従来の知識や方法にとらわれず,(往々にして瞬時に)独創的な思考を取り入れ,不足の事態を切り抜ける能力を指している.こうした場面には論理や分析だけでなく,大局的にものを見ることが必要だ.このようなものの見方ができるのも,右脳的でクリエイティブな資質である.

大学院に進学するまでまともな思考訓練を積んでこなかったので,ロジカルであることにはだいぶ意識してきたのだが,その代わりに,少し局所的な視点でモノを見るようになってしまったのかもしれない.何事もやり過ぎは良くないので,もう少し自由にモノを見れるようになる必要があるのかもしれない.

 最後に,後半部分で言及される「利己的自己」について.パートナーシップ哲学の研究者であるロザモンド・ザンダーは,周りからの評価を気に掛け,愛情や気遣い,食べ物などの不足について思い悩んでいる状態を「利己的自己」と定義している.この利己的自己を満たすために我々は日々競争や比較に明け暮れているのだそう.ところが,競争に勝利したところでこの「利己的自己」は完全に満たされることはないという.これを満たすには,明るく,気楽にやることが有効らしい. 2年前に就活に失敗して競争や比較を意識してきた身としては,近いうちに役に立ちそうな記述である.

マーク・ピーターセン「実践 日本人の英語」,岩波新書,2013

 以前,氏の『日本人の英語』を読んだのだが,今回はその第3弾を読んだ(第2弾は図書館になかった). 

実践 日本人の英語 (岩波新書)

実践 日本人の英語 (岩波新書)

 

 今回は前半部分は適切な表現に置き換えられたのだが,後半部分ではボコボコにされ英語力の無さを思い知らされた.具体的には,第7章の『「オンリー」ひとすじ?』では日本人はよく「〜だけ」という意味を表現する際にonlyを用いるが,aloneなど,別の表現が相応しい場合が多々あるという学びを,第8章の『副詞の立ち位置』では,副詞は置かれる位置によって強調の対象が違うという学びがある.特に後者は,「副詞なんてどこに入れても成立する」と教わった記憶があるのだが・・・.

 他には,「原因や理由を表す接続詞」が持つ原因や理由へのコミットメントの強さ.because, since(書き言葉ではas, for)は原因や理由が結果に論理的に強く結びついていなければならない.しかしandはそうした単語よりも結びつきが弱い場面で使われる.また,soはbecause, sinceよりももっと強く結びついてる場合に使う.ちなみに,becauseは読み手が知らない新たな情報を用いる場合に,sinceは既知の情報を用いる場合に使うらしい.知らんがな…

 第10章も印象深い.「そこで,」という意味で Then, と表現してきた記憶が結構あるのだが,実際にはThenの後にコンマを打つ用法はないらしい.「そこで,」に最も近いThenの意味は「だったら/それなら」だが,その場合は論理的な結合が明確でなければならない.As a resultも同様で,参考書には「結果として」と書かれている印象だが,実際には「(当然の)結果として」という強い因果関係を表すらしく,必ずしもAs a resultを用いるのが良いとはいえない.As a resultはThereforeなど「したがって」で置き換えられる場面のみで使うらしい.

 その他にもThese daysは「最近」ではなく「いまどき」というニュアンスなど,前回同様学びの多い一冊だった.最後に,『おわりに』より以下の文を引用する.

「あとがき」の締めくくりにはふさわしくないかもしれないが,ひとつだけ最近の日本で,気になっていることに触れたい.英語か日本語かに関わらず,文章の意味をしっかりつかむ,よく考えて文章を作る,といった基本的なことがちゃんとできているかどうか,不安に感じることが増えてきたのである.それは学生に限らない.

自分も2年前に比べたら大分マシになったと思うが,それでもダメなところはたくさんあるんだろうなあ…

安宅和人『イシューからはじめよ-知的生産の「シンプルな本質」』,英治出版,2010

 今回は安宅氏の『イシューからはじめよ』を紹介する.この手の本は,大抵ツールの紹介に終始するものばかりという印象.半年ほど前に図書館の新着図書コーナーにあった本もそうだった.

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

しかし本書は「アウトプットを生み出す」という視点で記述されている.

 本書は大きなバリューを生み出すことに重きを置いている.序章では,大きなバリューを生み出す可能性が低い「犬の道」に触れている.氏は,一心不乱に目の前の問題に立ち向かう「犬の道」を邁進するのではなく,大きなイシューを選別し,可能な限りそのイシューに対する解の質を高めることが重要だという.

 では,その大きなイシューはどのように見極めれば良いのだろうか.氏は判断基準として以下を挙げている.

  • 実際にインパクトがあるか
  • 説得力ある形で検証できるか
  • 想定する受け手にそれを伝えられるか

さらに,イシューを見極める上で「スタンスをとる」ことが重要だという.多くの場合イシューは曖昧だが,スタンスをとることで,(1) 答えを出し得るレベルまでイシューを明確にできる,(2) 必要な情報・分析すべることがわかる,(3) 分析結果の解釈が明確になる,そうだ.

 さらに,頭の中で磨き上げられたイシューの言語化も勧めている.イシューを言語化する上でのコツは「Why?」よりも「Where?」「What?」「How?」のいずれかで表現することだ.

 氏はよいイシューは以下の3条件を満たすという.

  1. 本質的な選択肢である.
  2. 深い仮説がある.
  3. 答えを出し得る.

2. について,深い仮説を構築するためには,(1) 常識を否定する,(2) 構造で説明する,のが有効だという.そのための構造として,(1) 共通性,(2) 関係性,(3) グルーピング,(4) ルール,を挙げている.

 よいイシューを考えるためには,(1) 一次情報のサーベイ,(2) 一次情報に基づいた基本的な情報のスキャン,(3) 集め過ぎない・知り過ぎない,ことが重要だという.特にこの集め過ぎと知り過ぎは,大学院での就職活動でやってしまった.ある程度集めてからスキャンし,それに基づいてもう一度集めてスキャンする方が効率が良かった.

 どうしてもイシューが見つからない時は,(1) 変数を削る,(2) 視覚化する,(3) 最終形から辿る,(4) 「So What?」を繰り返す,(5) 極端な事例を考える,ことが有効らしい.

 そうして見つかった大きなイシューは,MECEを意識しながらサブイシューに分解する.その際にも「Where?」「What?」「How?」が役立つが,型が見つからない場合は逆算が有効だそうだ.サブイシューに分解する利点は,(1) 課題の全体像が見えやすくなる,(2) サブイシューのうち,取り組む優先順位の高いものが見えやすくなる,部分にある.

 イシューとそれに対する解を有効に伝えるためにもストーリーラインは重要である.ストーリーラインとして,(1) Why?の並び立て,(2) 空・雨・傘,を紹介してる.(1) はそのまんま,(2) は論文形式だと理解してる.

 基本的にストーリーはピラミッドストラクチャで構成される.大きなイシューが頂点にあり,その下にサブイシュー,そして,サブイシューを裏付ける根拠の提示.

 根拠として分析結果を示すことが多々ある.分析は比較することに意味がある.定性分析は「意味合い出しに向けた情報の整理」と「タイプ分け」が基本.定量分析の型は,(1) 比較,(2) 構成,(3) 変化,の3種類がある.

 分析経験が浅い身としては,以下の文が印象に残っている.

基本的に,分析は「原因側」と「結果側」の掛け算で表現される.比較する条件が原因側で,それを評価する値が結果側となる.軸を考えるというのは,原因側で何を比べるのか,結果側で何を比べるのか,ということを意味している. 

分析軸の選び方として以下の文も印象に残っている.

似ているものを束ねながら,軸を整理していく.場合によっては,2つの条件が重なり合ったものも出てくる.大きくはA/Bという2つの条件しかなくても,

  • Aでしかないケース
  • AでありBであるケース
  • Bでしかないケース
  • AでもBでもないケース
という4つの場合があり得る.

 そうして分析が設計されたら,実際の分析に進む.その際にトラブルも起るだろう.本書ではそうしたトラブルとして,(1) ほしい数字や証明が出ない,(2) 自分の知識や技では埒が明かない,を想定している.前者に対してはフェルミ推定,足で稼ぐ,複数のアプローチからの推定,を勧めている.

 最初に述べたように,多くのロジカルシンキング本などとは異なる内容である.氏がPh.Dを取得した脳神経系の知識と絡めたコラムも大変面白い.もしロジカルシンキング本を読もうと考えている人がいれば,本書をオススメする.